僕がTSUTAYAに行かなくなった日
その日が来てしまった。
先日、TSUTAYAでのCDレンタルをやめることにした。
高校入りたてくらいからほぼ毎週続けていた習慣だが、十数年目にして終わらせることにした。
理由は明確で、「借りたいものが置いてない」から。
変化を感じてきたのは数年前からだった。
「新作旧作5枚で1000円」のサービスがスタートし、その後1年ほどで4枚1000円にグレードダウンした。
それでも毎週「この人たち最近よく名前見るなあ」といった具合で気になる新譜2-3枚を借り、初めて聞くアーティストの旧譜で埋めるとちょうどいい塩梅だった。
しかしここ1-2年で、通っている店舗の新譜入荷が鈍くなってきた。レジが完全にセルフレジに移行したのもこの頃だ。
宇多田ヒカルや米津玄師などロングセラー作品は、ランキング20位くらいまでの作品と共に什器の棚1列いっぱいに作品が置かれている。
しかしそれ以外の、入荷が少ないアーティストの新譜コーナーは什器の半分程度にまとめられ、元々アーティスト数も少ないヤ行やワ行は空のことが多くなった。
J-POPの他にロキノン系、いわゆる邦ロック系を蒐集している僕にとってこれは致命的だった。この手のアーティストは先述したロングセラーアーティストに比べれば1-2枚新譜が入荷してあればいい方で、新譜があれば掘り出し物のようにありがたくレンタルしていた。
新譜入荷の縮小はこのワクワク感が潰えることを意味している。
「今週は何が置いてあるかな」という期待が満たされなくなっていくのは、年々人気の減っていく地方のテーマパークを見ているような気分だった。
(それでもアニソンは比較的好調なようで、別の棚にそこそこ新譜が揃っている)
もっぱら利用している店舗は都内JRの駅ナカにある。
利用者が比較的多様と思われる東京ですら、確実に借り手がいる作品しか置かれなくなってきているようだ。
新譜で借りたいものが減り、そのうち手ぶらで帰ることも多くなった。
なんとか埋め合わせに旧譜を借りようにも、そもそも新譜が入ってこないので旧譜の棚も新陳代謝が止まっている。
苦し紛れに数合わせで有名なベスト盤なんかも借りていたが、先週「こんな借り方してても意味がない」と気付いてしまった。枚数合わせで借りるなど虚無がすぎる。
その瞬間、自分の中で長らく息づいたCDレンタルという習慣が息絶えたのがわかった。
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サンプル数n=1の印象論だろう、と反論される方もいるだろう。
しかし現実としてCDレンタルの市場規模は縮小傾向にある。
以下の資料の通り、店舗数、レンタル市場額ともに前年割れが長年続いている。
https://www.riaj.or.jp/f/pdf/issue/industry/RIAJ2018.pdf
在庫切れの不便や返却の手間を考えれば、サブスクやストリーミングを利用するのが断然便利だ。
市場原理としてレンタル事業が縮小するのは自明とも言える。
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結局、昨日先延ばしにしていたapple musicを導入することにした。
同時にiTunes matchで手持ちの音源をすべてアップロードして、これで自前の音源だけでも万単位の曲がいつでも聞けるようになった。
サブスクのサービス導入をためらっていたのは、音源を所有できない点で気持ちの折り合いがつかなかったからだ。
くだんの電気グルーヴの音源配信停止のように、サブスクではプラットフォームの意向次第でユーザーのライブラリは改変されてしまう。
何かを集めるタイプの趣味がある人ならわかると思うが、どんな理由であれ自身のコレクションに知らぬ間に手を加えられて心穏やかな人はいないだろう。
レンタルでも手元に音源を残しておくのは、僕にとって壁一面の本棚を年々少しずつ増築していくような楽しみだった。
そしてapple musicはさらに複雑な感情をもたらした。
予想以上に、あまりに便利だったからだ。
新譜の公開も早く、サジェストされる作品も的確だ。
そしてこれまで取りこぼしていた音源、特にカップリング曲なども網羅されている。気がつけば一晩で100曲近くダウンロードしていた。これでは「4枚1000円」など話にならない。
未知の音源の入手量もスピードも、月額1000円程で劇的に進化してしまった。
そしてこの進化と引き換えに、僕は音源の蒐集という習慣を完全に失うことにも気づいている。
勝手にやめておいてなんだと思われるかもしれないが、ライフワークと化した習慣がなくなることに寂しさを覚えるのはおかしいことではないだろう。
そして最も恐ろしいことは、手元に音源が増えないことで、自分の思い出の定着も弱まりそうなことだ。
ライブラリを眺めると、それぞれの音源を手に入れた頃の思い出が想起される。
今よりずっと大量に音楽を聞いていた大学の頃、新卒で縁もゆかりもない新潟に飛ばされて営業車の中でひたすら聞きまくった暗黒時代…。
サブスクで音楽を聴くようになれば、ライブラリの更新が頻繁に行われることになる。
一生かけても網羅できないほど音源が提供されるサブスクというサービスの中で、常に手持ちのライブラリは更新され続け、時間軸と共に残存した視聴履歴のレイヤーというものがなくなる。
常に最新のものしかないなら、参照する過去もないということだ。
地道に積み重ね続けたライブラリによって保たれていた思い出が、これ以上積み重ねられることがなくなる。
サブスクの導入は、それくらい僕にインパクトを与える出来事だった。
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今ライブラリを確認したところ、所有している音源は重複も含め16000曲ほどあった。
仮に15年で集めた音源だとしたら、年およそ1000曲ほど揃えてきたことになる。
もちろんもっとハイペースでたくさんの音楽を聞いてる人はたくさんいるだろうが、僕にとっては珍しく数字で残っているライフログだ。
おそらくここから、このログは一気に蓄積ペースが鈍くなるだろう。
それは同時に思い出を語ってくれる音源も少なくっていくということだ。
それでも結局これからも僕はTSUTAYAに通い、これまで通り新譜のコーナーへ向かい、まだ手に入れてない音源を発見するだろう。
ただこれまでと違うのは、きっと僕はレンタルせずにapple musicでその音源を検索し、ダウンロードしてしまうということ。
残念ながら、今の自分にこれを否定する言葉も理由も持ち合わせていない。
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俺達は伝えなければならない。俺達の愚かで、切ない歴史を。
それらを伝えるためにデジタルという魔法がある。…
メタルギアソリッド2で小島秀夫はこんなセリフをスネークに言わせている。
デジタルは有限の人間の活動に永遠性を付与してくれる。しかし一度失われた時の不可逆性も絶大だ。
0か1か、まさにデジタルそのものの特性に、僕は振り回されはじめている気がする。
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