1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

ヘスティア様のヒモになるのは一筋縄ではいかないようです(ヒモだけに)

2015年春クールのアニメが始まりました。

しぶりん~みくにゃん~みゃーもり~えまたそ~とやいのやいの言っているうちに世間ではだいたい雪は解け北陸新幹線が開通し、東京の桜はほぼ散りました。

ちなみに僕の地元ではアニメが映らないしまだスキー場は開いてるし花見はゴールデンウィークにやるものなので2015年の冬クールは終わっていません(そもそも始まってもいない)

 

消費税にもならない昇給を見ないふりをし、悲しみを忘れないままに桜の若葉萌ゆるにも勝るスピードで新作アニメを見始めました。

Fateだの苺ましまろ再放送だのアルスラーン戦記だのと、いよいよ最先端が何かわからなくなってきている混沌した番組構成の中、僕のアニオタ要素を積み続けてきてくれたJ.C.Staffから爆弾が届けられました。

 

 

 

 

 

 

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!?

 

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!?!?

 

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!?!?!?

 

『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』

神を自称するふにふにした彼女を縛る「ヒモ」は瞬く間にインターネットを席巻し、「ヒモになりたい」という言い回しが持つ本来の意味合いを数日の間に書き換え「ヒモ(物体)になりたい」という意味になってしまいました。

キャラクター原案ヤスダスズヒトの破壊力は伊達ではなかった。あとロキちゃんのおなか。犯罪だ。

僕だってなれるものならヒモになりたいし叶うなら経済的にもヒモになりたい!!

バブみという単語が伝播し始めてはや数ヶ月経ちますが、オタクは赤ん坊の次はヒモになることを希求しているようです。もはや生き物でもなくなった。

 

だが待てしばし。本作の1話を繰り返し(主にAパート6:10-以降)を繰り返し見る度、ヘスティア様のヒモは聖人のような存在なのでは?という気持ちになってきたのです。

 

絶対に離れてはいけない(ただし向こうの都合で離されるときはある)

作中、ヘスティア様はとにかく元気。

腕を振り回し、主人公ベル君に跳びかかり、時に怒って家から飛び出してしまう。

それでも文句を言わず常にくっついていなければなりません。

その割に着替えの時はヘスティア様の都合で外されてしまう。

そんな彼女の都合通りについていかなければ彼女のヒモにはなれない。

 

絶対にキレてはいけない

どんなに腕を広げびろんびろんに伸ばされても、簡単にキレてはいけません。

そんな柔軟性を持ち合わせ、振り回されるがままに耐えなければヒモにはなれない。

 

彼女の大事な所を支え続けなければいけない

ヒモはヘスティア様のふにっとしたむにむにのアレを常に支え続けなければいけません。

これは一種のご褒美とも言えますが、残念ながらヒモゆえに支えることしかできず、それ以上のことは何も出来ない。ヒモだから。

そんなギリギリのところでのお預けを永劫耐えなければヒモにはなれない。

 

そしてなにより、ヒモがどんなに頑張ったところでヒモはヒモ。

残念ながらヘスティア様の気持ちはベル君一筋なわけで、おそらくヒモに気持ちを向けてくれる日が来ることはないでしょう。

その上でヘスティア様が隙を見てはベル君に甘言を囁きかけるのを間近で見続けなければならないのです。

 

嗚呼、なんて健気なヒモ。そして報われることのないヒモ。

 

それでもあのヒモが放つ存在感。

ヒモという人外が、これほどまで強く「なりたい」という憧れの存在になったことがあったでしょうか。

 

主人公ベル君の「強くなりたい」という気持ちと、「ヒモ(物体)になりたい」という気持ち。ここに大きな違いはないはずです。

この何者にも代えがたい純粋な気持ちの行く末を、本作とともに見届けたいと思います。

(おしまい)

 

理想のヒモ生活 1 (ヒーロー文庫)

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