1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

『雨を告げる漂流団地』で揺らぐ不憫の境界線―高すぎるリアリティの副産物

 
インターネットから「サカウヱの好きそうなキャラがいっぱい出る」との通告を受けた『雨を告げる漂流団地』ですが、登場から異色を放つ金持ちギャルの令依菜がマァかわいくてですね

冒頭から「明日からフロリダのディズニー行くの~(ドヤァ)」と飛ばしてくる様子は女児化したスネ夫そのものなんですが、その後のザ・初恋って感じありありの言動とか周りへの当たり方とかは本作で一番人間らしいし、また時折見せるギャグキャラ的振る舞いはキュートとしか言いようがありません。

団地に閉じ込められた結果「(早く帰りたいから)何でもするからぁ~!」と泣き崩れるあたりはまさに「小学生!!わかる!!何でもするからとか言ってたわ!!」と感動すらさせられました。ともするとそんなに大人びてねーだろってツッコミたくなることが多い小学生モノの作品の中では、かなりリアルに小学生していたと思います。
それにしてもこういうガキんちょって趣のキャラクター、昔は得意じゃなかったんですが年々かわいげを感じてきている自分に時の流れを感じざるを得ません。
 
 
作画、背景、劇伴(ずとまよ助かりすぎる)と個々の仕事の丁寧さが光る本作ですが、イマイチノリきれなかったという感想もまあまあ流れてくるんですよ。
それは似たようなことを自分でも感じてまして、その理由のひとつに現実/非現実の境界がかなり曖昧に話が進んでいくところにあると思っています。
 
序盤で団地の屋上にみんなが集まり、一悶着あって文字通り滝のような雨が降り注いだ後、あたり一帯が海となって団地の「漂流」が始まる。非現実的な場面によって明確に場面が変わったと理解できるシーンです。
その後プール施設や百貨店の廃墟といった、夏芽の過去に紐づいたものばかりが漂流してくるので、一見すると夏芽の精神世界に他の登場人物が迷い込んだファンタジーもののように見えます。しかしキャラクターたちはしばらく「これは夢だ/夢じゃない」という押し問答を繰り返し、また食べ物に困窮するシーンもかなり長めに描写されるため、鑑賞側としては異界(=現実の基本原理が通用しない世界)なのか現実の延長なのか(=餓死しかねないようなリアルな世界)、イマイチ判断しきれないまま話が進みます。
 
キャラクターデザインもかわいげがあるのでもっと二次元的な作品だと思って鑑賞に臨んだのですが、実際のところはファンタジー世界で小学生にガチのサバイバルをやらせるという想像よりずっと重い話でした。
劇場では未就学児前後くらいの子どもたちもいくらか見かけたのですが、彼ら/彼女らがどういう感想を持ったのか少し心配です。
 
そうしたかわいげのあるキャラクターたちがバンバン怪我するんですよ、この映画。
転んで床に放置してある賞状のガラスを膝で割る(マジでこれが一番痛そうだった)とか、崩れた団地から落ちて頭打って流血した上にしばらく気絶するとか、マジでハードな描写が多いです。
特にこの気絶した子を巡ってほかの女子同士で言い争うシーンとかきつすぎて吐きそうでした。
 
「これは異界の話だから、本当に死んだりしないだろう」という意識の下で鑑賞できていればそこまでストレスに感じなかったと思うのですが、「舞台設定は異界なのにキャラクターたちは生身なんだ…」という意識で鑑賞してしまったがために、彼らの行末が鑑賞に支障が出るくらい本気で心配になってしまいました。
また団地への断ち切れない思い、航祐とそのおじいちゃんへの後悔の念といった課題を、自身も家庭環境が穏当とは言えないヒロインの夏芽ひとりに抱えさせるのもなかなかヘビーな設定でした。
 
石田監督は本作のさまざまなインタビューやパンフレットで劇場版ドラえもんの存在が自らの中で大きいことを述べているんですが、確かにその影響を大きく感じる構成になっています。
上記のインタビューではこのように述べています。
 
ペンギン・ハイウェイのインタビューなどでもよく言っていましたが、僕は子どもの頃『ドラえもん』の劇場版を観ていた影響が大きいと思います。『ドラえもん』の劇場版の物語って、言ってしまえば子どもたちが漂流しているようなものだと思うんです。のび太たちが異世界に行って帰ってくるわけですから。
 
確かに本作も「異界に行って帰ってくる」話で、これはグリム童話などの大昔から続くストーリー展開の基本形です。
しかし『ドラえもん』と異なり、『漂流団地』はまず現実世界のリアリティライン―どれだけ鑑賞者の世界に近い道理の世界か―がかなり高めに設定されています。
 
御存知の通り『ドラえもん』ではのび太たちのリアリティラインはそこまで高くありません。しかし『漂流団地』ではスマブラやディズニー、ブタメンなど実際に存在する固有名詞が冒頭で多数出てくるため、本作の世界や登場人物が鑑賞者と地続きにある存在のように感じられます。
結果として『漂流団地』のキャラクターたちが我々とほぼ同じ存在のように感じられるようになっているのですが、これが前述したケガ描写などの過度なストレスに通じているように感じます。
 
ドラえもん』でも『夢幻三剣士』のようにのび太やしずかちゃんが死亡するようなシーンもあるのですが、魔法で灰になるというファンタジー演出に留められており、ショッキングではあるものの非現実的であると理解できるラインになっています。

魔法で一瞬でやられるのび太(後で復活します)
この記事はたまたま『竜とそばかすの姫』地上波放送の直後に書かれているのですが、こちらも実際の地名や緻密な背景描写によって高いリアリティラインを保持していることが、終盤の展開への「いやそうはならんやろ」という多くのツッコミを呼んでいるように思われます。
作劇の技術向上と共に非常にリアリティの高い映像が提供されていることはとても喜ばしいですが、こうした現実と見間違うような設定が物語の展開自体に縛りを与えかねないものでもあるように思えてきています。
 
一方で映画ではありませんが、ほぼ現実の東京(江東区あたり)を舞台にするTVアニメ『リコリス・リコイル』は一部の設定や展開のガバさにツッコミが入るものの、概ねそれも味のひとつとして受け入れられている様子です。
 
ある程度ゆるい現実観の上に成り立つ物語の方が、実は鑑賞する方にとって素直な楽しみを与えてくれるのかもしれません。
そういった意味では、決してリアルさや緻密さが売りでなくとも面白い作品はいくらでも生まれてくる余地があるように思えます。
 
今日言いたいのはそれくらいです。

【告知】負けヒロイン合同誌「Blue Lose」寄稿とサンプル公開

早稲田大学負けヒロイン研究会@LoseHeroine_WSD初の会誌となる「Blue Lose」へ寄稿・主催との対談を掲載いただくことになりました。

下記の通り、5/29の文学フリマにて頒布予定です。

 

 

かつて負けヒロインは散発的にインターネットで観測される程度の嗜好でしかありませんでした。しかしここ10-15年で確実にひとつのコンテンツジャンルとして成長し、またその嗜好を自認する人間が増えてきています。

その結果のひとつとして昨年から発足した本研究会があります。

主催の舞風つむじ氏@maikaze_tumuzi のおかげで、これまで言語化してこなかった負けヒロインとは何か?という根源的な問いについて改めて振り返る機会をいただきました。

大学の研究会誌ですので、主体である学生の皆さんがアクセスしづらい、また体験していなかったであろうゼロ年-テン年代前後の私見を提示しています。

今後の負けヒロイン研究の参考資料となれば幸いです。

 

またこれに合わせて、本誌に寄稿した原稿の冒頭を公開いたします。

本稿以外にも素晴らしいアイデアが詰まった寄稿が届いていますので、おそらく世界初の負けヒロイン概論を御覧ください。

 

***

私論:負けヒロイン、その起源について

 

D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?

-Eugène Henri Paul Gauguin

 

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

-ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン

 

***

Chapter 1:我々はどこから来たのか

 

「お前が好きになるキャラ、だいたい不憫になるよな」

 

負けヒロインというワードが一般化する前、気がつくと私は「不憫女子愛好家」を名乗っていた。今見ても最悪な字面だが、当時はそう名乗るしかなかった。

2008年放送『とらドラ!』の川嶋亜美、2011年『魔法少女まどか☆マギカ』の美樹さやか、そして2012年の『あの夏で待ってる』の谷川柑菜…2010年前後のコンテンツによって形成された「不憫好き」は、インターネットの片隅で奇異な目で見られる異端嗜好だった。

そのうちキャラデザや担当声優で不憫キャラを目利きできるようになったが、自分の気に入ったキャラを表明するとインターネットからは「私の推しを不幸にしないで」という言葉をいただくようになってしまった。とんだ誤解である。

あれからおよそ10年、2021年8月に「早稲田負けヒロイン研究会」発足のツイートが流れてきた。

Fig.1 負けヒロイン研究会のツイート

 

ついに時代が動き出した。テン年代から負けヒロインを孤独に愛好してきた身として、長い冬が開けたような気持ちだった。

ついに負けヒロインも一般性癖と呼んで差し支えない時代がもうそこまで来ているのだ。

 

それにしても負けヒロインとはなんなのか。

「幼馴染は負ける」

「青髪キャラは負ける」

「金髪ツインテも危険」

こうしたインターネットミーム的な概念はどのように萌芽し、今日の隆盛に至ったのか。

本稿では負けヒロインというワードが膾炙するまでのきっかけの一端を、個人的な主観を多分に交えながら探っていきたい。

 

まずはGoogleトレンドで「負けヒロイン」の動向を探ってみる。

既に経済系Vtuberの夜須田舞流さんが類似した調査を先行しているので参考されたい。

note.com

驚いたのは自分自身でブログに2014年時点で「負けヒロイン」というワードを使用していたことだ。ここで引用されるまで完全に失念していた。

 

本稿でも改めて「負けヒロイン」をトレンド検索してみる。

すると本記事執筆時(2021年12月前後)では以下のようになった。

Fig.2 Googleトレンドに見る「負けヒロイン」の注目度(2004/01/01~2021/12ごろ)

 

2012年の急で大きな山と、2020年の中程度の山が見られ、その後は上下しつつもある程度常に検索されている模様だ。

2012年の負けヒロインといえば前述した『あの夏で待ってる』の谷川柑菜である。

「谷川柑菜」について比較してみると、グラフはほぼ同じタイミングで2012年に山を迎えている。

Fig.3  Fig.1と同範囲での「負けヒロイン」と「谷川柑菜」の比較

 

もちろんこの比較だけで谷川柑菜のトレンド上昇が負けヒロインのトレンドを押し上げたと結論づける気はない(逆も然り)。

しかし谷川柑菜のpixiv百科事典とニコニコ大百科がいずれも2012年3月に作成されており、『あの夏で待ってる』、ひいては「谷川柑菜」の注目度が確実に上昇したタイミングであることは確かだ。

谷川柑菜の負けヒロインぶりについては「あの夏で余ってる」といったネットミームが生まれたり、まとめサイトでネタになっていたことからも十分に確認が取れる。

以上のことから負けヒロインと谷川柑菜には一定の関係があると推定したい。

 

2020年3月の山は『勇者様の幼馴染という職業の負けヒロインに転生したので、調合師にジョブチェンジします。』のコミカライズによるものと推測する。なお本作の原作は2018年からweb公開されている。

負けヒロインと本作のトレンド比較は以下の通りである。見やすくなるようにグラフの範囲を2016年からに変更している。

谷川柑菜と同様、作品と負けヒロインのトレンド上昇が比例しているのがわかる。

Fig.4 「負けヒロイン」と『勇者様~』の比較(2016/12/ごろ~2021/12ごろ)

 

2021年にも山が見られ、これは同年7月に発売されたライトノベル『負けヒロインが多すぎる!』の影響と推測するが、まだ蓄積が少ないのかGoogleトレンドではうまくデータが取得できなかった。

ここではあくまで個人的な推測にとどめておく。

 

以上のように、負けヒロインというワードの認知度は特定の作品群によって広まった可能性が高い。特に本稿では『あの夏で待ってる』と『勇者様の幼馴染という職業の負けヒロインに転生したので、調合師にジョブチェンジします。』が負けヒロインの認知度向上に一定の貢献があったと結論づけたい。

 

もちろんここで見つけられなかった事象が負けヒロインのトレンドに寄与した可能性は十分にあるが、現時点では2012年を負けヒロイン元年と位置づけ、本稿での話を進めたい。

 

・インターネットを発掘する

前述のとおり、「負けヒロイン」は2012年に勃興したと見て差し支えなさそうだ。

しかし『あの夏』の影響が見込まれるとはいえ、「負けヒロイン」が含意する概念そのものが突然現れたとは考えにくい。2012年までに「負けヒロイン的な概念」が少しずつ集積し、2012年前後に「負けヒロイン」というワードに結実したと考えるのが自然だろう。

そこで2012年以前のインターネットにフォーカスして検索を続けることにする。

 

完全一致で"負けヒロイン"を期間指定(Googleトレンドの検索可能な範囲に合わせて2004/01/01/~2012/01/01)で検索し、負けヒロインに言及しているページを確認していった。

この際、アフィリエイトページに掲載されている最近の負けヒロイン作品がひっかかってしまうため、適宜作品で除外検索をかけながら調べていった。

 

最も古いページではBLEACH井上織姫アンチスレ(2007年)で「負けヒロイン」のワードが見つけられた。しかしこれは「設定負けしているヒロイン」の略称であったため、今回の調査からは除外した。

【ダメだ】BLEACH井上織姫アンチスレ36【やっぱり気持ち悪過ぎるや】

これを踏まえた上でさらに調査した結果、興味深いページがいくつか見つかった。

新しい順に掲載する。

 

・【俺妹】高坂桐乃 茶82と黒髪どっちがいい?(2011年10月)

【俺妹】高坂桐乃 茶82と黒髪どっちがいい?

Fig.5 当該スレ325

人気ラブコメ作品『俺の妹がこんなにかわいいわけがない』のヒロインのひとり、高坂桐乃についての単独スレッド。

本スレッドの325で桐乃アンチが「負けヒロイン」というワードを使用している。文中の「最萌」とは当時ノンジャンルで行われていたキャラクターの人気投票企画「最萌トーナメント」のことと思われる。

 

『俺妹』はメインヒロインに主人公の実の妹を据えるというセンセーショナルな設定を置きつつも、他にも魅力的なヒロインを多数登場させた。一方でキャラ派閥による闘争が絶えなかった作品でもある。特に物語前半は黒猫こと五更瑠璃と呼ばれるキャラが人気を博し、高坂桐乃は殺伐としたキャラ闘争の果てに負けヒロインと呼ばれるに至ったようだ。

 

戦場のヴァルキュリア3 人気投票 結果発表(2011年2月)

戦場のヴァルキュリア3 人気投票

個人サイト「春が大好きっ」内で行われた、ゲーム『戦場のヴァルキュリア』のシリーズ3作目のキャラクター投票ページ。個人サーバーでこうした応援サイトを持っていることは当時は主流だった。

 

ダブルヒロイン形式だった本作で「もう一人のヒロイン」と形容されるイムカについてのコメントに「負けヒロイン」が登場した。他のコメントにも「負け」というワードが散見される。

応援コメントのゼロ年代感が心にしみる。

Fig.6 当該ページのコメント欄

そして以下のページが、今回調べられた限りでの最古「負けヒロイン」である。

 

・伝統攻撃 (2009年10月)

伝統攻撃 トロピカルKISS 感想

RmG氏が管理する個人ブログ。

本ページで、PCゲーム『トロピカルKISS』に登場する氷室立花(正しくは氷室立夏)というキャラクターの紹介で「負けヒロイン」というワードが使われている。

Fig.7 当該ページの該当箇所

本件を深耕する前に、少し2009年前後のインターネットを振り返ってみる。

国内SNSとして初めて広く認知されたmixiの存在感が落ち着きはじめ、twitterが少しずつ認知度を広めていった時期である。またスマートフォンへの移行期でもあるが、富士通東芝の国産スマホが悉く失敗し、ソフトバンクの独占販売だったiPhoneが急激にシェアを伸ばした時期だ。

つまり現代と比べて、まだパソコンの前でインターネットをするのが主流であった時代にあたる。個人サイトやブログに誰かがアップロードしたページを、誰かが非同期的に閲覧するのがこの頃のインターネットだった。手元でリアルタイムにコミュニケートできる現代からすれば、だいぶスローなインターネットである。

 

ユーザー各々がブログを持ち、リアクションは少なくともゲームレビューやアニメ感想を公開するのは個人商店の集まりのようであった。個人商店では何を売ろうが自由である。この自由さがなければ今回の記事も見つけられなかっただろう。

 

さらにRmG氏にこのページで紹介されている「氷室立花」は本当に負けヒロインだったのか、不躾ながらご本人に質問することができたので以下に掲載する。

RmG氏には大変ご丁寧に対応いただき、12年前のゲームを再プレイして確認されようとしたが、残念ながら現物が見当たらず叶わなかったとのこと。

よってご本人からも以下の回答は記憶を頼りにした曖昧なものであり、一個人の印象に頼った内容であることを申し添えられている。その点を留意した上でご覧いただきたい。

 

以下がこちらからの質問内容になる。

・氷室立夏は「明らかに勝負が決まった後もアプローチを続ける負けヒロイン」とのことですが、これは他のヒロインとの恋愛勝負に負けてしまうエピソードがあるという意味ですか?(主観で結構です)

・氷室立夏は青髪ショートヘア、スレンダー体型と現代の負けヒロインにも通じる特徴があるキャラクターです。

あまり当時のPCゲームに明るくないのですが、本ゲームが発売された当時、他のゲームでも同様のキャラクターは存在していましたでしょうか?

・もし印象に残っている負けヒロイン(的なキャラ)がいましたらご紹介ください。

Fig.8 氷室立夏立ち絵(作品公式サイトより)

 

以下がRmG氏の回答になる。

***

 

トロピカルKISSは過去にフラグを立てた結果ヒロインの好感度は最初から全員MAXです

攻略ルート確定後も諦めず他のヒロインがアプローチをするタイプの話になっています

 

その中で立夏は肉体関係もあり、物語開始直後はお隣さんと一番近い関係だったということで

他のヒロインと比べて高いアドバンテージを持っていたヒロインになっていました

それはメインヒロインでもある幼馴染である花火に対してもで、見方によっては花火以上に

優遇されているように見えるヒロインとなっている、と当時は感じていたと思います

 

それ故に、ルートから外れたときの反動は強く、特にライバルの花火ルートでは際立ち

本人の表面的なクールさと、情の深さからくる行動の重さの空回りのギャップもあって

当時は、負けヒロインとしての描写が際立っていると感じたのではないかと思います

(尤も、コメディ色が強い作品なので引きずる話ではないと注釈を入れておきます)

 

曖昧な記憶で、憶測も交えた話となりますが現状でお話できるはこのレベルになります

もしかしたらかなり見当違いなことも言っているかもしれません

 

他の作品といえば具体的な名前は出ませんが、クールな性格故に損な役回りになるヒロインが

ある種の定番だなと色々なゲームをする上で勝手に思い込んでいたのかもしれません

 

***

RmG氏の回答から推測するに、氷室立夏は別のヒロインの攻略ルートで負けヒロイン的な立ち回りを担っていた様子である。

突然の声掛けにも関わらず、ご丁寧に対応いただいたRmG氏にはここで改めて感謝申し上げます。

 

以上の結果から、少なくとも本稿ではインターネット上で特定のキャラクターが「負けヒロイン」と形容されたのは2009年10月、RmG氏の個人サイト「伝統攻撃」での「氷室立夏」というキャラクターから、と結論づけたい。

もしこれ以前のインターネット上での負けヒロインへの言及、また書籍や雑誌などで見かけたという情報があれば是非お知らせください。

 

ではこれ以前には負けヒロインは存在しなかったのか?

次章ではさらに私的な考察を進めることとする。

***

 

続きはぜひ本誌でお楽しみください。

 

始まりは青い色

米津玄師 / 灰色と青( +菅田将暉

 

 

www.youtube.com

 

葛城ミサトです。セカンドインパクトの真実をお伝えします。

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こちらの画像は旧劇エヴァ(98年)の序盤で、葛城ミサトネルフ本部のデータベースをハッキングして「これがセカンドインパクトの真実なのね…」とつぶやくシーンのパソコンです。

この後データが全削除され、戦略自衛隊が突入してくる辺りです。

少し前にDVDで見た時に「これなに書いてあるんだろう」と思い調べたのですが、インターネットで言及されている方を見つけられませんでした。検索の仕方が悪かったのかもしれませんが。

 

そこで読める範囲で文字起こしてしてみましたので、皆さんにもセカンドインパクトの真実をシェアさせていただければと思います!これであなたも補完計画の一員です。

 

以下文字起こしルールです。

・左上→左下、続いて右上→右下の順になっています。

・文字起こしは右下の最後の段落以外。切れている部分が多くて文章になりにくかったので。

・読めなかったところはアスタリスク。自信がないところは太字です。

・途中のバイナリデータに「4」が入っていますが、誤記ではありません。

 

それでは早速御覧ください。

 

///

A group comprised primarily of college students living in and around Osaka got together and put on GEHIRN,the ADAM vention.

 

3.The biggest attraction at this event was the animation short that aired at the convention’s opening. This feature was produced completely independently of any professional studios, especially for this convention. Running somefive minutes, it took the convention’s volunteer staff an entire ***er to finish. The production staff created around several art college students, who had acquired some knowledge, however small, of anime production. In addition, such merchandise as handmade model kits(garage kits) and t-shirt made specially for the con proved popular as well.

 

4. Building on this experience, the core members of the con’s staff opened “SECOND IMPACT”, an ADAM specialty shop, in SECOND IMPACT. It was the first store in Japan whose stock-in-trade was science-fiction related merchandise.

Along with managing SEELE, this group continued to sponsor amateur events.

 

5. In 2002, when the ADAM returned to Osaka as SEELE, the SCOND IMPACT, they produced an opening animation feature for it as well, which drew *** revision. Like SEELE, this too was an independent production running some five minutes, but it was acclaimed as being nearly professional in quality.

The feature which at least launched this amateur powerhouse into the professional anime world was “GEHIRN--**mise no SECOND INPACT”.

Directed by Yamaga Hiroyuki, who was 24 at the time, it was produced as the first animated feature films by toy maker Bandai Corp.

These abilities found their way into the amat ***

as well, in the form of GEHIRN’s various tokusatu ***

Features, Between 2001 and 2003 this group

 

(右段落)

 

And in order to produce this film, GEHIRN, was founded in December 2012.  Later, GEHIRN the animation production company, and General Products,  manufacturer and distributor.

 

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0111010100

1000101110

0000100011

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1101010100

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0000100011

 

1011011010

1011011001

0011010110

1010001000

1101010000

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0011010110

 

1101110100

1011010110

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4010001010

0010100101

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1101000100

 

0110100101

1010001110

0001000110

1101000000

0110111101

1010001110

0001000110

 

7. GEHIRN would go on to produce the original video anime series “Top o Nerae!” (Aim for the Top!) Vols. 1-3, the NHK anime TV series “Fushigi no umi no Nadia” (GEHIRN of the Mysterious Seas/The Spirit Wonder), and the original video anime features “Otaku no Video 2011” and  “SECOND IMPACT”, which detail the history of “otaku” while spoofing GEHIRN’s own history at the same time.

 

8.  These abilities found their way into the amateur filmmaking arena as well, in the form of GEHIRN’s various tokusatsu(live-action ADAM) features, Between 2001 and 2003 this group would produce “ADAM” (Patriotic Taskforce Great Japan), “EVA-00” (Ultraman Returns), ( a parody of the) and “ADAM” (Revenge of Yamata Orochi --The Eight-- Headed Snake). With the support of General Products, the group also organized showings of these features in various locales.

///

 

文字並びでなんとなく内容が見えているかと思いますが、比較的読みやすい7段落目をDeepL翻訳をかけて少し整えました。

 

///

 7. GEHIRNはその後、オリジナルビデオアニメシリーズ「トップをねらえ!」Vol. 1~3」、NHKアニメ「ふしぎの海のナディア」、そしてGEHIRN自身の歴史を交えながらオタクの歴史を描いたオリジナルビデオアニメ「オタクのビデオ2011」「SECOND IMPACT」を制作した。

/// 

 

というわけで、葛城ミサトが発見したセカンドインパクトの真意とは「ガイナックスの前身となった、関係者が学生時代に立ち上げた団体の歴史にいくつかの架空のエピソードを交えたもの」でした。 

冒頭で「文字起こしは右下の最後の段落以外。切れている部分が多くて文章になりにくかったので」と書きましたが、それ以上に手前の段落まで文字起こしして「ああ、多分これ以上やってもロクな事が書いてない…」という挫折が多分にありました。

 

パトレイバーをはじめ、昔のアニメでは似たようなお遊びがあったようですが、最近あまり見ないような気がします。

togetter.com

 

オランダ語で書かれた解体新書の翻訳が遅々として進まず、1日かけて「眉とは目の上にはえた毛です」という一文を得るのがやっとだったというのは有名な話ですが、今回はそれにも似たような体験でした。

 

もし現行のDVD版よりクリアなキャプチャが取れる方がいらっしゃれば、より高精度なセカンドインパクトをお楽しみいただけるものと推察します。

こちらからは以上です。

青い子は「負けヒロイン」へ。「普通」の女の子を「特別」に愛せ。

私は青い子愛好家である。

青い子とは、ラブコメ等における「定番のフラれ役サブヒロイン」のことだ。髪の色が青いことが多いのでこう呼ばれる。
川嶋亜美美樹さやか、谷川柑菜、イチゴ…みなさんはどんな青い子を思い浮かべるだろうか。

 

だいたいの青い子は主人公の幼馴染で、ショートカット。(もしくは金髪ツインテール)
部活は陸上部などの個人競技の運動部員が多い。
性格は比較的陽キャで、普段は気兼ねなく主人公に接するものの、肝心の恋愛的なところでは奥手。
そして物語終盤、メインヒロインとの恋愛競争に敗れるよう運命づけられた存在である。

 

特にアニメの担当声優が東山奈央石原夏織市ノ瀬加那(敬称略)のいずれがである場合、青い子愛好家の期待は一気に高まる。
特に石原夏織ご本人に至ってはこのようにおっしゃられている。

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青い子は時として現実をおびやかす

青い子は物語的には負けるが、我々としては勝ち以外の何者でもない。
自分が勝負しているわけでもないのに勝ち負けとは本当に驕った考え方であるが、青い子愛好家はこのアンビバレントな感情を抑えられない、愚かな存在である。

 

そのあたりを掘り下げた記事を以前書いた。
だいぶはてブも伸び、ページビューも当時相当なものになったのは今でもよく覚えている。

 

sakasakaykhm.hatenablog.com

 

なおこの記事で言及した助六と称される美樹さやかは2021年に於いても助六のままである。(まどか、杏子、ほむら、巴、渚、助六)

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"Sukeroku"

厳選テイクアウト|茜屋すしぎん


この記事の公開当時、なるほど、みんな似たようなことを思っていたのかと思いつつも、当時はマイナー嗜好のひとつ程度に捉えていた。


青い子好きは飽くまでメインジャンルの中のサブ嗜好でしかない。
何故なら青い子はメインヒロインによるメインストーリーあってのフラれ役であり、また「負け」に向かって純粋に突き進む勢いと純粋さが無ければ青い子たり得ないと考えていたからだ。

 

しかしこの記事から3年が経過し、世間の事情は大きく変わってきた。

今年7月、『負けヒロインが多すぎる!』というラノベが発刊されたのだ。

 

負けヒロインがメインヒロイン、という矛盾のような作品が生まれたのである。

しかも負けヒロインが3人も出てくるというではないか。

小学館の公募での受賞作である本作は発刊前から宣伝twitterアカウントが作られ、本記事の公開時点ですでにフォロワーが1万人を超えている。

ln-news.com

 

当然、表紙を飾るメインヒロインは、青い。

「みんな、そんなに負けヒロインが好きなのか」
本作の情報を見つけたとき、戸惑いと喜びが同時に湧いてきた。

 

青い子嗜好はメインヒロインへのアンチテーゼ的な側面もある。


「ふふん、俺はやつらとはちょっと視点が違うぜ」といったこじらせた自意識があったり、あるいは「メインヒロインのような眩しいキャラより、親近感のある幼馴染のようなキャラの方が俺には合っている」といった趣味のよくない嗜好が多少ならずとも含まれる。

 

それがどうだ、『負けヒロインが多すぎる!』とは一体何事か。
米国株式と負けヒロインは多すぎて困るということはない。

 

「俺、負けヒロイン好きなんだよね」「わかるー」という会話が日常的になる世界がもうすぐ来ようとしている。
「ジャンル:負けヒロイン」の誕生をここに祝いたい。

 

負けヒロインは近年、その扱いが変わりつつあった。

 

負けヒロインというワード自体、カジュアルに作品タイトルやキャッチコピーに使われるようになってきた。
2019年のコミティアで以下の2作を見つけたのは偶然ではなかったと思う。

 

・「負けヒロインは報われない」シリーズ

https://www.melonbooks.co.jp/circle/index.php?circle_id=44184

 

・負けヒロインに学ぶ恋愛必勝術

#オリジナル コミティア130告知 - 芦垣丁のマンガ - pixiv

 

特に『負けヒロインに学ぶ~』は後ほど商業誌で読み切り化し、作者も原作付きでさらに別の負けヒロイン作品を発表している。

 

www.youtube.com

 


他に軽く調べただけでも負けヒロイン作品の増加傾向が見られた。

・ヒロイン転生~逆ハを作ってなにが悪い!(2015年 なろう最古の負けヒロイン作品)

https://ncode.syosetu.com/n0327cy/

・負けヒロインを書く苦悩(2017年 カクヨム最古の負けヒロイン作品)

負けヒロインを書く苦悩(双山サキ) - カクヨム

・勇者様の幼馴染という職業の負けヒロインに転生したので、調合師にジョブチェンジします。(2018年なろう原作、2019年商業化、2020年コミック化)

 

・負けヒロインの逆襲(2019年)

seiga.nicovideo.jp

・姫ヶ崎櫻子は今日も不憫可愛い(2020年)

comic-walker.com

・負けヒロインの後輩(2021年)

rookie.shonenjump.com

 

・選ばれたかった少女たち(2021年) おすすめです。

 

特になろう・カクヨムでは2019年以降、「負けヒロイン」というワードが使用された投稿が増加していた。

Googleトレンドを見ても「負けヒロイン」というワードの注目度は、2020年以降かなり上昇傾向にある。
負けヒロインの認知度は間違いなく高まっているのである。

 

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負けヒロインは日々進化中

 

このグラフの真ん中にある急激な山は2012年6月にあたる。
2012年冬クールに長井龍雪監督の名作『あの夏で待ってる』が放送だったことを考えると、おそらく本作の負けヒロインの金字塔・谷川柑菜が築き上げたトレンドと考えてよさそうだ。
2012年を負けヒロイン元年、マケイン元年としてここに元号制定したい。
今後は令和おじさんならぬマケインおじさんとして生きていこうと思う。

 
そもそもなぜ負けヒロインが支持を得るようになってきたのか。
そのヒントを、負けヒロインとは切っても切れない要素である「幼馴染」に見出してみたい。

 

おさまけこと『幼馴染が絶対に負けないラブコメ』がアニメ化されたのは記憶に新しい。

タイトルのとおり、「幼馴染=負ける」という前提の上に本作のタイトルは成り立っている。また本作のヒロインのひとりである幼馴染は、遠慮なく主人公にグイグイ突っ込んでくるタイプだ。

最近の幼馴染は傾向として「なんでも気兼ねなく、恋沙汰でもカラッと話せる相手」として扱われているようである。
タイトルを参考に例をいくつか挙げる。


転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件 (2021年)

 
男女の友情は成立する?(いや、しないっ!!) Flag 1. じゃあ、30になっても独身だったらアタシにしときなよ? (2021年。ヒロインが、青い)

 
ねぇ、もういっそつき合っちゃう?幼馴染の美少女に頼まれて、カモフラ彼氏はじめました (HJ文庫) (2021年。本記事執筆当時、HJ文庫ベストセラー) 

 

かつてTV版エヴァ最終回の「あったかもしれない世界」で、幼馴染となったアスカは寝坊するシンジを部屋まで無理やり起こしに行き、軽口を叩きながら一緒に登校するシーンがあった。
まさに幼馴染とはなんたるかが端的に表現されたシークエンスであるが、そこに現れるのは幼馴染への「日常的・普通な親近感」である。

飽くまで仮説に過ぎないが、幼馴染とニアイコールである負けヒロインにもそうした親近感が見いだされ、負けヒロインがメインヒロイン足り得る魅力として注目されるようになってきたのではないだろうか。

 

「付き合うならアタシにしときなって!」
人生において幼馴染に言われたい殿堂入りワードのひとつである。

 

これから負けヒロインはどのような存在になっていくのだろうか? 

 

遅ればせながら、先日『冴えない彼女の育てかた Fine』を視聴した。
本作の終盤、メインヒロインの加藤恵と、主人公の幼馴染 澤村・スペンサー・英梨々による印象的なやりとりがあった。


///
「確かに倫也君は、普通じゃなかったかもしれない。けど、英梨々や霞ヶ丘先輩ほど特別でもなかったんだよ」
「それ才能の話よね? 性格のことじゃないわよね」
「だからね、ふたりに追いつかない同士、ちょうど良かったんだよ。私と、倫也君は」
「…なによそれ」
「倫也君言ったんだ。『私ならなんとかなるんじゃないかと思った』んだってさ」
「普通そう言われたら、怒って別れると思うんだけど」
「確かに私、普通の男の子を好きになるような、普通の女の子じゃないのかもね」
///

 

公式に「ごく普通」と紹介されるように、加藤恵は「普通」のヒロインである。
冴えカノはそんな普通のヒロインが「特別」になっていく様を描いた作品だった。

 

負けヒロインは凡人である事が多い。いわば「普通」なのだ。
しかし普通の女の子が物語的に負けてしまうとしても、何かに立ち向かう瞬間はいつだって特別である。

その凛々しい姿に、我々青い子愛好家は打ちひしがれ、涙する。

そして時には思いがけない形で、彼女たちは「特別」へとたどり着くときが来るかもしれない。

それがジャンル:負けヒロインに秘められた可能性である。

 

これからたくさんの「普通な」負けヒロインが、「特別」へと変わっていく姿が見られることを、青い子愛好家は期待してやまないのである。

負けヒロインの可能性は未だ計り知れない。

 

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美人じゃない 魔法もない
バカな君が好きさ
途中から 変わっても
すべて許してやろう

スピッツ/夢追い虫
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「ひげひろ」を全話観てまあまあ悩んだので話を聞いてほしい

ガリベンジやVivyなどオリジナルアニメが隆盛した2021年春クールでしたが、個人的に最も心悩ませた作品は「ひげひろ」こと「ひげを剃る、そして女子高生を拾う。」でした。

 

残念ながらこの記事は本作を多くの方にオススメするためのものではありません。本作を楽しんだ方にはケチつけてるようであまりいい内容ではないですし、別に本作観てない人に対して「こんなんあったよ」と広めたいわけでもありません。
ただ一個人がどこか疑問を持ちながらも全話観てしまった、本作の謎のパワーと自身の気持ちをまとめた内容です。

 

「おじさん、泊めてよ」

北海道から家出してきた女子高生のヒロインと、一介のサラリーマンである主人公が都心の夜道で出会うところから物語は始まります。
寝泊まりの場も碌に用意できないヒロインはいわゆる「神待ち」でなんとか生きており、男に拾われ、身売りしては追い出され、また拾われるという生活を続けている。

傷心の酔った勢いで主人公もまたヒロインを「拾う」が、ヒロインは自分の身を求めない主人公に戸惑いながらも共同生活が始まる…という導入になっています。

 

当然本作はフィクションなのですが、未成年の家出人が初対面の人間の家に転がり込むようなことは実際に現実で起りうるものです。そしてその多くは当然、犯罪として取り締まられています。
もちろん家出人の自由が制限されていなくても逮捕された事案あります。要は社会的にも影響が大きいことを主人公はスタートからやっていっているわけです。

ちなみに本作では主人公をはじめすべての登場人物が、ヒロインを匿ったこと自体は違法行為であることを認識しています。
「見た目では小学生ですがこのゲームの登場人物は全員成人です!」理論で構成された作品ではないので予めお知らせしておきたいと思います。


「未成年の家出人に出くわしたら、どうしたらいいのか」

現実に考えるとすごい重いテーマですね。

 

社会規範に則れば然るべき団体や警察に任せるのが当然です。
あるいはヒロインのような声掛けに出くわしても無視するのも手かもしれません。
見ず知らずの人間に深く関わらない。当たり前の判断です。

一方、家出の主因を解決するには当人だけでは難しいことが多いでしょう。第三者の介入も困難だったりします。
実際本作のヒロインは学校でのとある事件と母親との不和から家出しており、家庭からも地域コミュニティからも見放された存在になっています。

「家出なんてしてないで、ちゃんとお母さんと向き合いなよ」
そう言うのは正しいのですが、家出した当人にとって何の助けにもならないでしょう。

 

簡単には答えの出ないこの命題に、最終話までに示された結果はこうでした。

「主人公とヒロインは半年ほど共に暮す中で信頼を築き、身の回りの人の理解と助けを借りて母親と向き合い、一定の和解を得て平穏な暮らしにヒロインは帰っていった」

 

よかったよかった。ヒロインは助かったようです。

 

一方で新聞沙汰の違法行為を行っていた主人公はどうなったでしょうか。
半年以上も未成年者を匿っていたにもかかわらず、ヒロイン本人はおろか肉親からも訴えられず、それどころか「助けてくれてありがとう」と感謝され、もとの一人暮らしの生活に戻ります。
事情を知る同僚からもなんのお咎めもなく、これまで通り勤労を続けているようです。

 

作品の結末自体はそうなると思っていました。
ただフィクションでも、それでよかったんだろうか?とずーっとモヤモヤしております。

「フィクションだしそこまで本気になって考えなくてもよくない????」という気持ちもあるのですが、しかし「フィクションだから、で済むライン超えてない????」と思ってしまう自分もいるのです。

 

アニメを観た限りですが、物語は大筋として「ヒロインを救うにはどのように登場人物を動かせばいいか」に注力された展開が終始続きます。
ある意味では「ヒロインを救う」結末を迎えるために「割り切った」作品だと思いました。

本作は「カクヨム」で連載投稿されていましたが、割り切った作品を作る作者と、それを了承して読む読者という一種の相互合意が本作の人気を支えていたんじゃないかと思います。

ただこれが商業作品としてリリースされたことを考えると、出版社やアニメの出資企業といった第三者もこの展開を了承したのかと思うとどうもすっきりしないのです。
フィクションとはいえリアリティのある違法行為にゴーサイン出してるわけですから。
あのデスノートですら最後は主人公死んでますし、現代劇をベースにしている以上違法行為を認識しながらイイハナシダナーで終わらるのはなかなかリスキーなように感じました。

 

ただの妄言ですが、ヒロインを無事に実家に返してあげた後に主人公が「大人としての責任を取る」と言い出して自ら出頭、その後不起訴になるが社会的信用がゼロになったところにとヒロインが自ら再会。あっけにとられる主人公に対し、一話に合わせて「泊まってきなよ、おじさん」で完結していたらスタンディングオベーションしていたかもしれません(何の願望?) 

そういう二次創作すでにありそうですね。

いずれにせよ何かしらの禊が主人公にあれば、現代劇として相当説得力が増したんじゃないかと思います。もちろん主軸がそこにあったわけではないとは思うのですが。

 

いろいろ言ってきましたが、それでも全話視聴してしまったのは「ヒロインを絶対に救う」という一貫した意気込みを感じたこと、またキャスティングされた声優陣の演技が良かったことでツッコミどころの多い展開でも押し通すパワーがあったおかげだと思います。

特に市ノ瀬加那さんの儚さを絶妙に含んだ演技を見せるメインヒロインは、2次元キャラとして非常に危うい魅力がありました。


あと気がついたら自滅していたサブヒロインを石原夏織さんが担当されていたことは個人的に僥倖以外の何者でもありませんでした。
3年前から何も変わってませんね。人として軸がぶれていない。

 

sakasakaykhm.hatenablog.com

 

 

これにて2021年春クールの振り返りを終えたいと思います。

 


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(きっと)最後の作文 - 「僕とエヴァンゲリオン」

*↓ここから「シン」鑑賞前に書きました*

一年程ブログに間が空いてしまいました。正直この一年結構いろいろあったのですが、どうも記事にする方向に意識が向かずここまで来てしまいました。


先日から「シン」公開前にも関わらず「私とエヴァ」といったテーマの記事がちらほらあがってきています。やはりこの14年(TV版から数えれば26年)という時間はあまりにも長く、エヴァを語ることは同時にその人の人生を振り返ることに直結しているようです。

したがってこの記事も自分語りから始まります。

 

***

 

地上波テレビ不毛の地であった青森で、小学生の頃にポケモンの後に放映されていたのがTV版エヴァでした。年少者にとってそれは抗えない無慈悲な洗礼であり、僕のエヴァの呪縛はそこから始まりました。


内容の理解はさっぱりでしたが、最終2話の裏返しセル画や線画で構成された画面に、強烈な印象を受けたのをよく覚えています。

アニメ雑誌なんて読んだことありませんでしたし、インターネットもなかったのでいかに作品のインパクトがあったかを裏付けています。


時は流れ大学に入り、都会での一人暮らしによるハイな気分も落ち込んできたあたりで旧劇場版に出会いました。

それまでの受験に向けたタイトに時間感覚から解放され、逆に間延びした生活したサイクルの中で漠然とした将来への不安が増していました。その不安の捌け口がどういうわけか旧劇場版に向かってしまい、毎晩朝方まで見返す時期が3ヶ月ほど続きました。

「俺にはどうしてミサトさんがいないんだ」などとぼやいているうち、2年前期の単位をそれなりに落としました。(午前中全く起きれなかった)

 

ただ悪いことはばかりではなく、旧劇場版によって「人は完全には分かりあえないという前提で他人と向き合わなければならない」というシンプルながら大切なことに気がつけたように思います。

この頃からエヴァの裏設定的などにはあまり関心が向かず、それぞれのキャラクターの生き様や関係に意識が向いていきました。それは今でも変わっていません。

 

そのまま学生生活は典型的な夜型に突入し、程なくして深夜アニメにやたら力を入れていたテレビ神奈川の誘惑にまんまとはまりました。

「このストライクウィッチーズという素晴らしいアニメの監督はガイナックス出身なのか!」といった発見から、グレンラガンカレカノフリクリとガイナ作品をどんどん取り込んでいくうちに新海誠作品に出会いました。

在学中に公開された序・破の後押しもあり、結局卒論のテーマにエヴァ新海誠を軸としたセカイ系を取り上げるに至ります。

ここで人生が後戻りできない方向に定まりました。

みんなテレビ神奈川が悪い。嘘です。


***

 

2007年公開の「序」から2021年現在まで、いろんなことが変わりました。

ドコモのネルフコラボ携帯はまだガラケーでしたし、序DVD発売時にはトイレしか写ってないフィルムがヤフオクで高値で取引されました。
それまでちょっとキワモノ扱いだったアニメのコラボ商品やキャンペーンが当たり前のようにコンビニや百貨店で展開され、紫と黄緑の初号機カラーリングを目にしない日はなくなりました。


そういえばEVASTOREでやってた「エヴァグッズと撮るご当地フォトコンテスト」みたいなのがありまして、入賞してタンブラーもらったりもしました。2012年とかだったと思うのでもうインターネット上に何も残ってないですが…。

↓その時の写真です。

 
 
 
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あとこのブログのアカウントの真希波アイコン、かつて相互フォロワーだった人に描いてもらったやつなんですよ。9年くらい前だと思うんですが、いつの間にかアカウントなくなってて、もう連絡つかないんですよね。      

1コンテンツを振り返るにはあまりに長い時間が過ぎました。

僕はといえば今年で社会人10年目を終えようとしています。なんの冗談ですか?

「Q」公開の頃「劇場版完結するまでは生きたいな」とか半分冗談半分本気で思っていましたが、ついぞその日が来てしまいました。


なんとなくですが、めちゃくちゃなことが起こりがちなエヴァの物語と、どこかいつもめちゃくちゃな世の中の空気が常にどこかリンクしていて、結果として自分ごとのようにエヴァの物語をこれまでの人生に結びつけてきたような気がします。


エヴァを振り返ることと、自分を振り返ることは最早不可分なのです。

 

***


↑ここまで「シン」鑑賞前日に書かれました。

 

↓以下「シン」鑑賞後の様子です。

 

※本編内容を含みます※

 

当日中にこの記事をアップする予定でしたが、完全に脳のCPUが過負荷に耐えきれず何も書けませんでした。

無量空処くらった漏瑚みたいな顔で帰宅するのが精一杯でした。俺は無力だ。

 

 

 

一夜明けて、先程ふせったーに箇条書きで雑記したところです。

クールダウンのために書いたのであまりまとまりはありません。参考まで。

 

 

↓以下本編です。 


<責任と、生きること>

 

「旧劇場版のアップデート」が目標だったんだなと、そう強く感じました。

ゲンドウやミサトといった、当時は子世代から見た漠然とした大人像として描写されたキャラクターが、長い時間を経て物語の中で語られるべき大人として登場しました。


エヴァを終わらせる」のは商業的に完結を迎えるというだけではありません。

「シン」で「落とし前」や「ケリをつける」といった類のセリフがキャラクターから何度か語られますが、これは制作側のエヴァ完結を全うする責任の現れでしょう。「決着させる」姿勢自体が劇中の大人してのあり方に反映されていることは想像に難くありません。


「大人になれ、シンジ」

「僕には何が大人なのか、わかりません」

 

このやりとりの決着こそ、本作完結の骨子のひとつでした。

 

一方、生きること、命をつなぐことが前半で強調されます。

 

このテーマは「破」の海洋再生施設での一連の流れからアスカの「もらった生命は残さず食べつくせ」といったセリフから既にその萌芽がありましたが、「シン」でついに真正面から向き合う形になりました。

 

人も猫も関係なく生き物として種を残すこと。

人は他の種を守り残せる可能性があること。

子がいなくても誰かに自分の意志を託し、誰かを生かす形になること。

時間の許す限り、様々な形で「生きてつなぐ」ことが描写され、一種の道徳性すら感じられました。


ぶっちゃけ「シン」で表現されてる「大人とは」とか「生きるとは」みたいなテーマって、みんな頭ではわかってることだと思うんですよね。

ただ14年かけて、今あらためてエヴァでそれを描写することの意義は、鑑賞者各々が向き合わなければなりません。


「うんうん、そうだよね」と首肯できる人もいれば「うるせーそんなことエヴァで語るなや」と反発したくなる人もいるでしょう。リトマス紙的というか、根が深いオタクほどどちらかに転ぶと思うんです。

もちろんそういった反応込みで本作は作られていると思いますし、だからこそ最終盤で各キャラの結末を徹底して描いたんじゃないかと思います。

個人的には今のところは「ああ、みんなそうやっていろんなところへ向かうんだね」と比較的穏やかな気持ちです。ただこれは初回の鑑賞で整理しきれていない部分が多いので、2回目以降で全然変わってくるかもしれません。

 

***


生きるとは何ぞやみたいなことを考えていると、「風立ちぬ」のキャッチコピーであった「生きねば」を思い出します。

これは漫画版ナウシカの最終話ラストのコマが元になっているのですが、直前のコマでナウシカは群衆に「さあみんな 出発しましょう どんなに苦しくとも」と語りかけます。

 

エヴァの世界にナウシカのような先導者は現れませんでした。

ただ誰かが、他の誰かにとっての生きる導きとなってそれぞれの出発を果たせたこと。それによって鑑賞者含めひとりひとりの生命の可能性を肯定しているように感じるのです。


庵野流「生きねば」が、「シン」の目指す先だったのではないでしょうか。


"It's only love"

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「声優は結婚するもの」「忘年会は面倒なもの」あらゆるものから建前がなくなる時代

突然の声優の結婚報告ラッシュで新年から生きる気力を失っている方々が多々いらっしゃるようです。

個人的に結婚おおいに結構なのですが、ああやって示し合わせたように発表されるのはいかにも日本人らしいといいますか、事務所も関係取引先も所属する声優の慶事くらい周りを気にせず堂々と発表なさったらいかがですかという印象です。

それほどに女性声優の結婚への建前がひどく凝り固まったものであり、特にタレント的に活躍されている方にとってはセンシティブな話題のようです。最近はまぞくと魔法少女が結婚していましたし、声優とスポーツ選手の結婚もなんら問題ないでしょう。

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一方報道の不正確さへのカウンターとしてではありますが、庵野秀明というキーパーソンが数十年続くエヴァコンテンツの根幹を公開する時代がきてしまいました。

 

これまで新劇場版ヱヴァが延期になる度にインターネットは庵野何やってんのと騒ぎ立てていたわけですが、これを読む限りクリエイターが自身の創作に没頭できるような環境ではなかったことは明白であります。むしろ関係者がやっと『シン』の公開までこぎつけてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

しかしながらこの記事はかつてオタク産業の一端を大きく担ったガイナックスの凋落をまざまざと見せつけるものであり、古巣の実態をこのような形で世間に公開しなければならなった庵野秀明本人や関係者、そしてかつてガイナックス作品に強い憧れや関心を寄せた人々の気持ちもまた大きく揺らがせてしまうものです。

ガイナ全盛期の多くの主要クリエイターが既にカラーやトリガーに移り、最近でも『プロメア』などガイナの血脈を受け継ぐ作品は生まれているとはいえ、もうあの頃のガイナックスは二度と戻らないと思うとやるせない気持ちになります。アニメ制作会社には後ろめたい部分もある、そんな直視したくない現実が揺るぎない事実としてつきつけられました。

社会の建前がなくなっていく

芸能人は結婚するもの、どんな有名な人も逮捕される、大企業は永続しない、残業はしたくないもの、忘年会は行きたくないもの…「建前」が崩壊し、今までほんのり感じていた公然の秘密のように扱われていた人々の「本音」が一気に表層化してきました。釘宮理恵が確立した、本音と建前の到達点であるツンデレキャラというジャンルが落ち着きを見せ、「やさしいせかい」と表現されるような素直でストレートなキャラが支持されるようになったのも無関係ではないでしょう。

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一般的なツンデレの一例

 

「今まで強制されていた悪習がなくなってよろしい」という面もあり個人的にも歓迎なのですが、「集団の建前」はこれまで日本人を強く規定してきたルールでありますから、これがなくなると一気に集団としての日本人の行動力が落ちる時代が来そうだなあと危惧しています。

一種強迫的な面もあるのですが、これまで様々な組織が個ではなく集団の目標達成を優先して動いてきたわけで、個の本音の優先度が上がってくると組織での意思統一に別の方法を模索しなければなりません。


前述の忘年会もこれまで「忘年会やるぞ社員全員参加!」と社長の一言で済んでいた会合も、各社員の出欠を確認して店選びをするようになるので、決定まで手間も時間もかかります。さらに出欠の確認はその場で一回聞けば終わるものではなく「あの人が出るなら行かない」など、幹事の知るところでない政治的な面もカバーしなればならず苦労が絶えません。結果として店選びが遅くなり、中途半端な規模の店で微妙な会になる未来が待っています。これは決して私の経験談ではなくフィクションです。

つまり我々日本人は、組織としてこれまでケアしてこなかった組織内での個人の意思を、結構真面目に相手しなければならなくなってきているわけです。

■結局強制されてしまう「選択の自由」

建前的な集団の行動原理が弱まると、すべて個人が考え、選択しなければなりません。それでいながら社会の画一的な規範や所属する組織のルールは依然存在するわけでして、「空気は読みながら自分の責任で選択」するという非常に高度な生き方が求められるようになります。選択肢が増え自由になったように見える世の中ですが、その分選択の責任は個人自身に帰属しますから、自己責任論が容赦なくふりかかる時代が訪れそうです。ましてや企業や学校への信頼度が下がっているのですから、さらに個人ベースで生き抜く思想が強制されるようになりそうです。ドラマなどでマイペースを貫く主人公像が支持されたり、自分の生き方を曲げないような姿勢のタレントが支持されるようになってきたのもその一環ではないでしょうか。


しかしながら皆が皆そうした生き方ができるわけではありません。

あらゆるものから建前がなくなる時代選択する意志が弱い人、そもそもいちいちなんでも選択すること自体面倒という人も多くおられることでしょう。そういった人には選択の自由はむしろネガティブに捉えられ、せっかくのチャンスも蔑ろにされてしまいそうです。さらにこれだけさまざまな場面で選択、選択と迫られる生き方では、何かあったときの社会的救済すら自己責任を理由に与えられないようなことも起きかねません。最近のサロンビジネスなんかも「何か正しい選択した気になってしまう」点でかなり危うい誘惑だなあと思っています。


いずれにせよ様々な場面で選択を迫られる以上、選択をするという行為そのものの経験値を貯めていくしかなさそうです。金も時間もない我々ですが、まずは小さな選択から達成させるスキームを自分の中でこなし、「これなら自分にもできた」という経験値の積み重ねを持って次の選択に備えるしかなさそうです。


アラサーもベテランの域に入ってきて、2019年がかなりモヤモヤしたことが多かったので思考整理的に少し真面目なことを書いてみました。

昨今のなろう系アニメの乱発ですっかり視聴アニメ本数が少なくなっており、また劇場アニメは良質な作品が多いもののブログでは語りづらい面があり早口なキモ・オタク記事が少なくなっており恐れ入ります。

最近は同人誌寄稿が多くなってきておりますので、主にアニクリと感傷マゾシリーズをご参考いただけると幸いです。

本年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

本音×建前 カルタ

本音×建前 カルタ

  • 発売日: 2012/04/22
  • メディア: おもちゃ&ホビー