1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

さやか。

「さやか」という単語にいろんな意味を含むようになって久しい。
その一言に詰まっている僅かな暖かさと、背景に茫漠と広がる絶望感。
それほどまでに美樹さやかはいろんなものを遺していった。

■「不憫かわいい」という概念の誕生
私的ではあるが、「不憫かわいい」という概念が美樹さやかによって完成しえたと考える。
他に不憫かわいいキャラクターをざっと挙げるとすれば川嶋亜美(とらドラ!)、佐天涙子(とある科学の超電磁砲)、澄田香苗(秒速5センチメートル)などをピックアップしたい。
特に澄田は美樹さやかとほぼ同義のキャラクターとみている。
「美樹さやかは不憫かわいい」のである。


■かなわぬ恋によって裏付けされるキャラクター
澄田もさやかもその「かなわぬ恋」に翻弄されるキャラクターである。
いずれもその恋のきっかけは多くは語られない。そもそもかなわぬ恋をするには恋している、ということ自体が既にキャラクターに定着されていなければならず、恋をしたきっかけを深く描写しすぎることはキャラクターを揺るがす隙を生む。よってふたりについては恋の理由をあまり深く描写する必要はない。

この二人に与えられた物語は既に「恋の成否」しかない。道を選べない、不自由なキャラクターである。あらゆる行動、判断はその恋のもとに決定される。
そして主人公でないが故、その恋の多くは失敗に終わる。最初から破滅へと向かうキャラクター。我々視聴者はそれにある時点(あるいは最初から)で気づくが、彼女らはなかなか気づかない。そのズレを視聴者はかわいそうとか感じて、実況板で「あああああああああ」とか書きこむようになる。

■主人公の敵対者にもなれない美樹さやか
例えば恋愛そのものが物語の主体である「君に届け」などでは、胡桃沢は主人公の(プロップの昔話の形態学風に言うところの)敵対者であるため、主人公に乗り越えなければならない試練を与える存在である。爽子の恋愛に試練を与え、その乗り越えるための代償として胡桃沢自身の恋愛は失敗する。
一方美樹さやかはまどかの敵対者ではないし、恋敵でもない。にも関わらず、自身の恋愛の失敗によって美樹さやかは魔女化する。魔女化したさやかはまどかを襲い、自身を案じてくれる佐倉杏子を自滅に追い込み消滅する。(一応)親友である自分が消えたことでまどかもまた強いショックを受ける。物語上の役割でもとことん役立たずの美樹さやかちゃんはかわいい。

■ほむほむに助けられるさやか
このままでは美樹さやかは本当に役立たずであるため、ここに暁美ほむらをつれてくることとする。第十話以来「まどマギの主人公はほむほむだ」という声も聞こえるくらい、ほむほむの存在は大きい。
まどかとほむほむの関係はシータとパズーのそれと近いと感じる。非力だが秘める力が大きいヒロインを救おうと奮闘する弱いヒーロー。ほむほむはまどかにとってのパズーである。
まどかにとってただの役立たずであった美樹さやかも、ほむほむにとっては乗り越える試練を与える敵対者である。つまりほむほむの物語においては、美樹さやかは敵対者という役割を持てるのである。よかったねさやか。
ほむほむなしに、さやかの存在は語れない(というか存在しえない)わけである。ここにほむほむ×さやかを感じるのもまた一興ではなかろうか。

ほむら「美樹さやか、あなたは私がいなければただのモブなのよ」

とか言ってる一方でまどかにしっぽ振ってるほむほむの薄い本はありませんか。


ふたりが互いを想い合ってる関係もいいと思いますけど、こういう一方に完全にぶらさげさせられてる関係ってのもまたステキですね。
そういうわけで美樹さやかは不憫かわいいのです。