1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

セカイ系は死んで、その後。

僕は卒論でセカイ系をテーマとして取り扱ったのですが、正直時間的制約とか自身の論文構成力が微妙で満足いく結論はかけなかったんです。
というわけでざっと今思いつく結論を殴り書きしておきたいと思います。

■ゼロ年代を境にセカイ系は死んだ。
まず結論としては僕はいまこれを強く思います。
ほしのこえ、サイカノ、イリヤの空などに見受けられる「(主人公に対する)彼女を救いますか、世界を救いますか、どちらしか選べません(僕はセカイ系をこういう風に定義してます)」という命題を課した作品は激減し、少なくとも現在のサブカルの文脈におけるメインストリームではなくなりました。
クビキリサイクルに代表される西尾維新セカイ系作家のひとりですが、シャフト製作による人気作品の化物語も決してその文脈は既存のセカイ系の概念では語りきれるものでありません。

前述したほしのこえの作者、新海誠の作品をたどれば「雲のむこう、約束の場所」において「彼女を救うか、世界を救うか、どちらかを選べ」というセリフがありました。
しかし次作「秒速5センチメートル」ではそもそも世界の危機なんて描かれてません。
僕は無理やり秒速はセカイ系、って卒論では定義させたんですけど、その位置づけはセカイ系の中では末期もいいところだと思っています。
また涼宮ハルヒシリーズもよくセカイ系の文脈で語られますが、これは「彼女を救うか、セカイを救うか」という「彼女=セカイ」という等価値の関係を利用しているに過ぎず、「ハルヒの機嫌次第で世界は崩壊する」という部分からセカイ系と呼んでいるだけです。アニメがヒットした2006-2007年頃には、こうした意味でセカイ系の意味合いは大きく変化していたといえます。


■そもそもセカイ系は何故生まれたか
サブカルの範囲の中で限定して言えば、セカイ系の発端がエヴァであることは「セカイ系」という言葉を知っている人ならわかると思います。
またセカイ系という言葉が生まれたのは2002年のことなのもググればすぐわかります。
よって元々の意味合いでのセカイ系は2002-2007年くらいの短い期間で流行したと考えられます。

そもそもセカイ系はどうして生まれたのでしょうか。
以下個人的な妄想を多分に含みます。

セカイ系」という単語が生まれた2002年は日韓ワールドカップやらなんやらありますが、個人的には就職氷河期の谷であり、後のロスジェネがゴロゴロ出てきはじめた時代、あとインターネットけ携帯電話が広く普及し始めた時代という印象がとても強い時期です。
文脈とかよくわかりませんが「個の時代」って単語ができるきっかけみたいな年だと思います。それと合わせて世の中が社会から離れ始めた時代というか。
ノストラダムスの予言も外れて、ミリオンヒットの徐々に少なくなり、「なんか浮かれてらんない」迷走感があったような気がします。
要は「社会とか、世の中ってどうなるんだ?」という疑問意識が強く表層化してきた頃です。

その迷いと、これまでの社会の信頼が崩壊した中でセカイ系は生まれたんじゃないかと。
意図して生まれたというより、そういう解釈が生まれたというか。
「本当にこの社会は大丈夫なんか?」という疑問がセカイ系を生み出したと僕は考えます。


セカイ系の変容
上記の疑問は作品の物語において、世界観の曖昧化、ヒロインの描写の深化を促しました。
そして登場人物の関係における物語にフォーカスした作品がメインストリームとなっていきました。
※そんな中で東のエデンなんかはかなり異彩だったと思います。また見たい。

全然関係ないですが、ミスチルが社会風刺的な曲つくらなくなったのもこの頃ですよね。
桜井さんの病気もあると思いますが、シフクノオト以降のミスチルって君-ぼくの範囲にとどまったテーマが多くなった気がします。
人々の価値観から社会・セカイがどんどん薄くなってきたのがゼロ年代全般の特徴であるのは、皆さんも感覚でわかるところだと思います。

前述した「この社会大丈夫なの」は誰も答えが出せず、政治不安などから社会への期待は薄まるばかりでした。
そして2009年に大きな転換期が来ます。

■セカイの終わり。
某バンドではありません。
ゼロ年代は迷走しているうちに世界同時不況と民主党政権の成立というダブルパンチによって社会は死にました。
そしてサブカル界においてはけいおん!化物語、ヱヴァ破によって、セカイ系はその立場を失いました。
先に述べたようにセカイ系において「ヒロイン=セカイ」という等価値の関係がその基本でしたが、我々にとって社会は期待できないものになり、セカイ系の関係は崩壊しました。
そして以下のような部分においてセカイ系はさらにおいうちを食らいます。

けいおん!のヒット…喰霊らき☆すたなど先行する作品は多いが、男性主人公不在で女性メインキャラによってのみ進む物語展開が広く受け入れられる。いわゆる日常系の磐石化。
化物語のヒット…シャフト作品の中でも特に徹底してモブの書き込みを排除し、学園舞台の作品につきものの社会性を徹底的に潰した。阿良々木とその身内のみで展開するストーリーは私小説の強化版ともいえる。
■ヱヴァ破のヒット…TV版エヴァとは違う物語展開によって、シンジは自分の意志によって綾波を救うことを選択した。TV版・旧劇場版おける迷いの展開はここで分岐し、セカイ系と位置づけられた旧作とは一線を画すことになった。

(ヱヴァは次作に於いて「個を選び過ぎると社会はこうなっちゃいますよ」ってことを提示してくれるんではないかと期待しています。
その案内人が新しいカヲル君ではないかと。)

「社会なんてもう興味ないし期待してもしょうがない。ヒロイン(≒個・私の身の回り)がよければそれでいいんだ」これがけいおん!以降の価値観として固定化されたと考えています。
もちろんこれはその価値観を共有している比較的若い世代の一部でしか通用していないものだとは思いますが。
言葉は違えど、これから世の中が大きく変化しない限り徐々に浸透していくと思います。


こうしてセカイ系は終わりました。
短い命でした…

以上、社会さっさとちゃんと崩壊しないかと思ってる邪気眼社会人の妄言でした!
そんじゃーね。