1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

りんごちゃんを食べたゆりはアダムかダビデか

社畜まってきてきました。そう下半期です。
役所仕事が中心ですので、下期から動き始める仕事が多いのです。。。



今日はピンドラ話です。15話までのネタを含みます。
荻野目苹果ちゃんに絡んでさらに時籠ゆりさんもなかなかいい具合におかしくなってきました。日記を奪われて以来日記の内容が確認できないため、りんごちゃんはデスティニー通りに事がうまくいっているのか確認できません。
しかしゆりさんはきっとこの先のデスティニーを知っているのでしょう。

さてキーパーソンである消えた桃果はなんと中の人が豊崎愛生ということもあり、個人的には15話はその演出を含めファビュラスマックス。
そして15話はこれまでのストーリーの中でも一番、性について深く描写された回でした。
いやだわ、早くまとめないと…という気になったので記事にしました。

主題としてゆりさんの性別を取り上げます。
まず出発点として僕は「ゆりさん元男の娘」派であることを宣言しておきます。
ゆりさんの「性の生い立ち」をまとめておくのがこの記事の目的です。

■幼年時代
男の子なのに女の子として育てられたゆり。どういう理由かは不明ですがその原因は父親にあると考えいいでしょう。はっと思いつくレベルでは父親の美的感覚によるもの、といったところでしょうか。
15話から読み取れるレベルでですが、ゆりの父親は性別そのものではなく、自分の美的感覚そのものに固執しているようです。ダビデ像サモトラケのニケも作れるようですし。
そしてゆりさん男の娘説の根拠はパパの「ゆりの体から余計なものを取り除く」というセリフひとつだけなのですが、小学生の時点で男の娘であったとすれば、小学校でぼっちなのも合点がいきます。

エヴァ贔屓としてはゆりの父子関係にシンジとゲンドウの関係を見出すのは容易です。
母(妻)の喪失をきっかけとしてその欠如感をゲンドウはネルフにぶつけ、指揮官という立場を優先し父親としての思想をうまくシンジに伝えられませんでした。これによりシンジは父親と疎遠になりますが、疎遠になればなるほど互いの因果は深くなりました。
一方ゆりの父親は妻の喪失により妻に失望し、妻の美しさをゆりに求めました。おそらくゆりが男の娘として育てられてしまったのもここに起因するのではと考えます。
そしてわずかな常識で父親に疑問を持つも、寵愛として捉えざるを得ないゆりは父親へストレートに愛情を求めます。
すれ違いによる消極的discommunicationがシンジとゲンドウ、積極的discommunicationがゆりとゆりの父親の関係と言えそうです。

そして桃果が現れることでゆりの世界観は変わっていきます。今までゆりの中で押し込めてきた父親への疑問が、桃果が現れたことでより大きく顕在化していきます。
「桃果が言うことを信じてみたい、興味がある、仲良くなりたい」と思っても、その背景には必ずダビデ像のタワー=父親がそれを阻みます。

「あのタワーはパパなの。いつも私を見てるの。」

父親はゆりを別に美しい女性にしたかったわけではありません。単に美しい作品に仕立てあげたかったのです。
それは物質として固定化することです。人にそれを施すということは…

「ゆりは永遠にパパに愛される存在になるんだよ…」



どのように桃果は能力を得たのかは不明ですが、桃果のおかげでダビデ像もといゆりの父親は消え去り、ゆりは助かります。
これによりゆりは父親=男性からの支配から解放されたと同時に、桃果への依存=女性への渇望を始めます。

■女優時代
これにより宝塚という環境で女形の人気女優となり、男形とアレな関係にあったと言えます。品のない言い方ですが美しい存在でいられる場所であり、また美しさを女性に求めるためには宝塚は格好の場所だったと言えます。

ゆり男の娘説を提唱してはいますが、ナニが未だにあるかどうかについてはまだ推測がたちません。男形やゆり自身の言う「私の体の秘密」がそのことならナニはあるのでしょうが、そうだとしたら15話で昌馬が突入したシーンで昌馬はもっと驚かないといけないと思うのです…
ある意味ではゆりの秘密を先延ばしするにはこの演出で正解なのかとは思いますが。

さて男形やりんごちゃんを手篭めにしたゆりはその名の通り百合百合しい関係を創り上げてしまうのですが、ゆり=男の娘ということを踏まえると

・男形=本当は女 と 男の娘=本当は男 
という二重の性を持った関係であると言えます。

そしてりんごちゃんとは
・女子高生との百合百合な関係
・女子高生=女と男の娘=男というごく一般的な男女関係
という二重の関係になります。
これは言いたいだけですが、りんごちゃんを手にかけるということは、林檎を飲み込んだアダム=男という隠喩に捉えられます。

■これから
ゆりの女性への渇望は本来は桃果への渇望です。
その渇望はゆりの存在をすべて認めてくれる存在への依存なわけですが、もしりんごちゃんが「本当のゆりさん」を認めてしまった場合、ゆりの桃果への渇望はりんごちゃんによって昇華され、りんごちゃんは望んでいた形とは別の形で桃果になるでしょう。
ウテナのアドゥレセンス黙示録のエンディングを考えるとそのエンディングもアリな気がします。生存戦略とはなんだったのか。
それでも桃果を取り戻そうとするのか。しかしそうした時、桃果本人が戻ってきたらりんごちゃんはきっと桃果が邪魔で仕方なくなってしまう気が…うーんドロドロですね!!!

りんごちゃんとファビュラスマックスしたい。