「今 変わっていくよ」―『シャーロット』OPから読む輪廻と抵抗の意志
新作アニメ『シャーロット』が始まりました。
麻枝准のオリジナルアニメとしてP.A.WorksがAngel Beats!から5年ぶりに手がける本作ですが、これがとても素晴らしい作品になっています。
PA贔屓なのは自覚あるんですが本当にすごいんです。2話目にして泣きました。
今回その2話で通常OPがつきましたが、OPから得られる情報を整理していくほどに本作への期待がどんどん高まっていく一方、キャラクターの心象や運命への不安が大きくなりすぎてまして、今こうして手を動かして平静を保とうとしています。
ところでヒロインの友利奈緒っていう人がですね、その、すごく"""いい"""んですよね…
↑安易なオタクを殺しにかかってくるヒロイン(最高です)
はあ佐倉綾音さん…
終始だるそうな佐倉綾音さんの演技…
でもたまにはキリッとしめる佐倉綾音さん…
佐倉綾音さん、「あっ誕生日一緒なんだ~へ~この人ちょっと気にしてみよう」と夢喰いメリーからずっとチェックしてきたのですが、ここ1年くらい演技の幅も声の作り込みもすごくレベルが高くて、何かしら出演してるのを見るとあーっ!!って歓喜してます。
ただあまりこういうゲーム的作品の文脈になかった人だと思っていたので、PA/麻枝作品への出演というのはかなり意外でした。
それでもハマってきてるからもうね、うん…ああ…
はあ…
本題です。
既存の麻枝准作品同様、非常に情報量の多い本作のOP。
僕なんかよりずっとこれまでのkey作品への知見や文脈の理解度が高い人は山ほどいますから、そうした方の解説を待つ一方、個人的にザクザク心に刺さってきた部分だけを絞って書いていきます。
※少し2話の内容に触れています。未視聴の方はご留意ください※
■ループ、ループへの自覚、そして抵抗
↑友利の音楽プレイヤー。
OPで複数回出てくる友利の音楽プレイヤー。この音楽プレイヤーで彼女は劇中バンド「ZHIEND(ジエンド)」の楽曲を聞いているようです。そしてこのバンドは彼女の兄が幼少期の友利に薦めたバンドでもあります。
「ZHIENDを無限に流し続ける音楽プレイヤー」こそ、友利が置かれた現状と過去、そして場合によっては未来すらも示しています。
終わらないZHIEND。
上:加速する時計と、つながれなかったふたつの手
下:つながろうとするふたりの手
前述したように、友利は抜け出せないループにはまってしまっています。
そしてOP冒頭、加速する時間の中でつながれないふたつの手。
このふたつの手が誰のものかは明示されませんが、本作の各キャラクターが持つ共通の負のループを示していることでしょう。またそのループへの自覚はあるが、手を伸ばしても救いはもたらされてこなかった。
しかしOP後半、主人公乙坂と友利は空中落下する中、なんとかお互いの手を取り合おうと必死に手を伸ばします。
「今度こそ、今度こそここから抜け出そう」
そういう祈りにも似た必死の抵抗を、感じずにはいられないのです。
■「帰りたい」「シャボン玉」「ハングドマン」
↑☓2「踵を鳴らし、魔法をかける」
オズの魔法使いでは「踵を三回鳴らすと家に帰れる」のですが、ここで友利は踵を一回しか鳴らしません。つまり「帰りたいけど、帰れない」のではないでしょうか。
作中にも示される「不完全な能力」ともつながります。
友利の帰りたい家は、きっともうないのです。
↑☓2祈りとシャボン玉
このブログでも繰り返し言っていることですが、画面に向かってキャラクターが左を向いている状態は「正」の状態です。
シルエットとなった妹ちゃんと重なって祈る乙坂と、シャボン玉(=いずれ消えゆく存在)を放つ乙坂。妹ちゃんの将来は、シャボン玉なのでしょうか。
ここはちょっと確証が薄いですが、個人的な予感として記載しておきます。
↑画面的には楽しいが…
既に一部で大人気の高城(左)と、まだ本編では登場していない西森(右)のふたりが宙吊りになって笑顔でぶらぶらしているカット。
このカットが個人的に一番ざわつきました。というのもこのカットでふたりが限りなくいい人だと直感したからです。
ここで引用するのはもちろんタロットカードの「ハングドマン」です。
ハングドマンの大義は「誰かのために犠牲となって吊られている」とのことです。
またこの犠牲をハングドマンは苦痛と思っていません。むしろ吊った人を信頼し、進んで吊られているから笑顔でいる。
このふたりの吊られる物語が必ずどこかで出てくることでしょう。
■道化(愚者)のゆくえ
↑☓3「ばぁー!!」喜び勇んで崖へと走り抜ける歩未。その最後の表情は喜びか?
主人公乙坂の妹の歩未ですが、もしタロットカードの引用が可能であるなら「道化(愚者)」としての役割を僕は読み取ります。
作中でも若干電波気味なマスコット(=道化的)の歩未ですが、メインキャラクター5人の中でも唯一同じ組織(生徒会)には属していないイレギュラーな存在です。
そしてOPラストで崖への一本道をひとり走り抜ける歩未ですが、愚者のカードもまた「崖へと歩み進んでいく」カードです。それだけ彼女は自由な存在であり、さまざまな可能性を秘めているのです(いい意味でも悪い意味でも)
また既存のタロットカードに後付けでナンバリングされたため、愚者のカード番号は0らしいです。(ライダー版タロットのみ)
「歩未=まだ進んでいない=0」とこじつけるのも楽しそうです。
完全にひとりぶんの間の抜けた最後のカット。
Angel Beats!のEDを踏襲するのであれば、一番左に歩未を取り戻せるかどうかが、乙坂の運命の鍵となるでしょう。
■まとめ「今 変わっていくよ」
本作の色彩構成では「青色」の使い方が非常に印象的です。
青色、ループ、崖…完全に個人的な趣味ですがこの曲を思い出さずにはいられませんでした。
「永遠に続くような 掟に飽きたら
シャツを着替えて出かけよう」
ファンの間では道連れか何かでは、という鬱な解釈が有名な曲です。
しかし『シャーロット』に合わせるならば、彼らが抜け出せない運命への抵抗の成功を願うのにぴったりの曲ではないかと思うのです。
「そして輪廻の果てへ飛び下りよう
終わりなき夢に落ちて行こう
今 変わっていくよ」
どうか彼らの運命が、彼らの望む形になりますよう。
「吹奏楽部」の夢―10年前、僕は中川夏紀さんと会っていた(はず)。
ご多聞に漏れず『響け!ユーフォニアム』をとても楽しんています。
いろいろ言いたいことはあるのですが、どれも言語化の過程でただの絶叫にしか成り得ず、この作品の感想を公衆の場での伝達を前提にした表現ができそうもありません。
というか主人公の名前が親の名前と一緒なので「久美子と塚本早くどうにかなっちまえよ」とか「高坂久美子になる展開マダ?」といった関係各位の善き妄想を私はいっこうに喜ぶことができません。だから一貫してこの作品で当該キャラクターの呼称を「黄前さん」と統一しています。
まったくもって変換しづらく、生きづらい世の中です。
【TVアニメ化】響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ (宝島社文庫)
- 作者: 武田綾乃
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2013/12/05
- メディア: 文庫
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さて中川夏紀さん。
名前に夏を抱えるなんて素敵じゃないですか。中川さんは一生夏なんです。
だから冬服の時期でもポニテでいられるし、窓は全開なんだ。
さて、当該作品を視聴していくうち、どうしても中川さんが、自分の過去のどこかに存在していたような気がしてきました。
こいつもついぞ創作と現実との区別がつかなくなったか、と思われるかもしれませんが(僕もそう思いました最初)、この違和感にはれっきとした理由がありました。
高校2年の時の同級生。
彼女は吹奏楽部員で、だいたいいつもポニテで、席は一番後ろの窓際でした。
出来すぎと思われますでしょうが、本当なんです。さすがに楽器はユーフォニアムじゃなくてフルートでしたが。(さっき卒業アルバムで確認した)
中川さんのようなちょっとタルい子、というよりはむしろ田中あすかさんのような明朗な方でした。
今日仕事中にこれに気づいて、デスクワークの静かなフロアで「アッアーッ」とぬるい声を漏らしかけるくらいにストンときてしまいました。
今でこそ楽器を弾くという行為が生活の一部になっているのですが、高校当時の僕はまだ一切楽器に触ったことがなく、音楽ができる人に対して無条件に憧れがありました。
またこれは全国的な共通認識であることを切に願ってやまないのですが、吹奏楽部というのは文化部のエースであり、校内ソーシャルで唯一体育会系とも肩を並べていられる非常に強い存在であると、当時も今も信じています。
「楽器という未知のツールを使う人たちが集団でパフォーマンスを行う(しかも素人でも楽しめる)」という、吹奏楽部は僕にとってただただ見上げるような存在でありました。
さてその同級生というのは吹奏楽部でもムードメーカー的な立場を確立していまして、踵を潰した内履きをパタパタさせながら、仲良しの吹奏楽部と廊下でよく通る声を響かせて、もちろんクラスでも良い存在感を放っておりました。
先ほど窓際の席、と書きましたが、そのちょうど斜め後ろに僕の席がありました。つまり僕から見て左前です。とはいえ左側には席がなかったため、実質一番後ろ同士だったわけです。そのせいもあってお互い無駄話をする機会が多い時期がありました。
僕自身は決してクラスの中心という存在ではなかったため、吹奏楽部でもクラスでも遺憾なく存在感を発揮する彼女に話しかけられるというのは個人的に一大事であったわけです。
田舎とはいえ一応進学校でしたので、学期が進むに連れてクラスの話題に成績が割合を占めてくるのは自然な流れで、近い席同士でテストだの模試だの成績表を見せ合うなんてことも間々ありました。当時彼女は確か外語大とかを志望校に書いていたような気がします。
幸い僕は英語だけは学年上位10人前後に入っていましたので、外国語学部志望の彼女からはよく英語の点数を見せろ見せろと言われておりました。(だいたい僕のほうが上だった)
で、割と自信があった回だったんでしょう、先に点数を見せつけてきて僕の答案用紙をぶんどった日がありました。…が、その日も僕の方が上でした。
アッハイハイいつものパターンですね、そう思った矢先。
顔をはたかれました。
はたく、と言うものの、スローモーションで頬を撫でるような程度に。
とても素晴らしい笑顔で。
教室で。
ワイワイしてるとはいえ、他の同級生がいるところで。
しばらく僕は固まってしまいました。
ふと気を戻すと何事もなかったように答案用紙は机に戻っていました。
彼女は教壇に背筋を伸ばし、特にもうこちらを気にかけている様子はありませんでした。
ちなみに彼女には当時とてもよくできたハンドボール部のイケメンの彼氏がいましたし、その後学年上がる時にクラス替えしてからほとんど話すこともないまま卒業しました。
本当"アレ"はなんだったんだろう。
僕をはたいた吹奏楽部の魔法は10年間ひっそりと息を潜め、ある日、突然襲いかかってきました。
「吹奏楽部」は、永遠に憧れのまま、これからも輝いていくような気がしてならないのです。
多田李衣菜と前川みくが好きすぎて書いたSSの元ネタが音源化するの決定してて解脱してます
[多田前川] 水中メガネ | civic ethica #pixiv http://t.co/4TJEc7uY5c 僕がずっと最近水中メガネで聴いてたのはこういう理由があったからでした
— サカウヱ(不憫女子愛好家) (@sakasakaykhm) May 17, 2015
アイドルマスターシンデレラガールズの多田李衣菜と前川みくのコンビが好きすぎる影響でこの1ヶ月ずっとこれ書いてましたのでブログ停止してました。
女の子の前川を考えては胃痛が再発し、だらしない多田が変わっていく瞬間を考えては動機が激しくなっていました。
さてタイトルの水中メガネは99年に作詞松本隆、作曲草野マサムネで仮面シンガーchappieがリリースした楽曲ですが、奇しくもこの楽曲が草野マサムネの歌唱で、今年の松本隆トリビュートアルバムに収録されるようです。
松本隆 作詞活動四十五周年トリビュート 「風街であひませう」(完全生産限定盤)
- アーティスト: VARIOUS ARTISTS,安藤裕子,小山田壮平&イエロートレイン,草野マサムネ,クラムボン,斉藤和義,手嶌葵,中納良恵(EGO-WRAPPIN’),ハナレグミ,やくしまるえつこ,YUKI,細野晴臣
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2015/06/24
- メディア: CD
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草野マサムネがこの曲を歌ったのは99年の松本隆トリビュートライブでの一度きりで、この16年間、そのブート音源だけでしか確認できないものでした。
VHS時代の音源のためひどい音質で、毎回ボロボロのカセットテープを回すような日々であったわけで、今回ついにスタジオ音源としてリリースされるのが本当に…もう…ううっ…
みんな水中メガネ歌詞読んで!!
頼む!!
あと楽曲も聞いて!!
それからSS読んで!!
ありがとう松本隆…
マグリットから学ぶ裏切りと解放のしくみ―「青い子なんて言わせない」
行くまで知らなかったのですが、現在ルーブル展も同時開催されております。
チケットを買いに並んでいると
「マグリットはうーん…よくわかんないよね(笑)」
「ねーなんか変だよね(笑)」
という渋い会話が前のカップルから聞こえてきました。
もちろん彼らはルーブル展のチケットを買ってましたとさ。
そりゃルーブルはルーブル(愛)だからね。お二人様、それは至極まっとうな思考ですぞ。
僕もルーブル展行こうとか素直に言えるような人生を送りたい。
そんな思いを乗り越えた向こう側で観覧したマグリット展。
そこから学んだ裏切りの方法が本日のテーマです。
少し真面目な話。
-
裏切りの実施例(およびその体験)
ではまずこの作品のタイトルを想像してください。
決まりましたか?
この作品のタイトルは『呪い』です。
繰り返します。 『呪い』 です。
…急に不穏になってきましたね。
次です。
この作品のタイトルを想像してください。
もしかしたら当たった人もいるかもしれません。
『前兆』です。
今にも雪崩が起きるかもしれない不安な絵になりました。
ちなみにどちらの作品もこの展示で見ることが出来ます。呪いや前兆を是非、生で感じてきてください。
このようにマグリットは作品に一見無関係なタイトルを付すことで、観客が絵画に対して持つであろうイメージを崩しにかかるという方法を採っています。
このイメージの崩壊を可視化すると以下の様なフローになります。
「わーきれいな空の絵だなあ」
↓
「この作品のタイトルは『呪い』です。(ただし呪いと言っているだけで、この作品自体が呪われてるとか、そういうことを説明しているわけではない)」
↓
「えっなにそれこわい。この作品にどんな意味があるのだろう(しかし何が怖いのかは観客にも説明できない。ただ漠然と、自分の中にある「呪い」という単語に含まれる概念をこの絵画に重ねているだけで、この作品自体に怖さがあるわけではない)」
この方法を最も端的に示したのが、有名作『イメージの裏切り』です。
どう見てもパイプの絵なのに、下には「これはパイプではない」という一文。
ではこのパイプ(のようなもの)はなんなのか?
観客は絶対に示されない答えを悶々と考えさせることになります。
作品の視覚情報が持つ常識や普遍的なシニフィエ(表象される概念)を、タイトルやキャプションによって否定したり歪曲することで、観客は一気に常識から解放された状態で作品を鑑賞することになります。
マグリットはこの方法で観客へ「作品は自由に鑑賞してね」という姿勢を示しているように感じます。
「これは何に見えますか」
「パイプの絵ですね」
「これはパイプじゃないんですよ」
「えっじゃあなんなんですか」
「それは自分で考えてね~(ハァコリャコリャ」
といったように。
上述した作品以前に、タイトルが作品を作品たり得るようにした前例があります。
『泉』マルセル・デュシャン
「マット=サン(デュシャンは敢えてマットという偽名で出品した)、これは便器では?」
「これは『泉』という美術作品です」
(買ってきた便器にサインしただけだけどね)
「アイエエーないわー!!こんなん美術じゃないわー!!出展ダメね!!」
「(デュシャンが別人として批評)彼が既成品を美術作品にしようとする姿勢自体は否定されてはいけないのでは?」
「ぐぬぬ」
本作は美術館の作品は美術たらねばならない!!という当時の姿勢を風刺した作品でもありました。
いかに人間が既に自分の中にあるイメージや設定、情報で作品を鑑賞しているかがわかります。
「値の高いモノなんだからきっと素晴らしいものなんだ」
この手の思い込みのような姿勢は、日常のそこここに潜んでいるように感じます。
- 現代のコンテンツに見る裏切りの方法
そして実体のイメージと相反したキャプションをつける行為は、最近だと画像大喜利サービスboketeで体現されています。
元の画像は死の舞踏の一枚だったか黒死病の風刺画だったかと思うのですが、この実体が本来持っている非常にシリアスなイメージを、全く無関係なキャプションによって裏切ることで笑いが成り立っています。
しかしイメージを裏切って「笑わせる」ことを目的としているので、マグリットの方法に比べて観客の自由度は格段に下がっている点が異なります。
よって観客を笑わせられなかった場合、イメージの裏切りサイクルから外れてしまいますから、この作品は「スベった」という評価をつけられることになります。
人を惹きつける「裏切り」がどんなものか、なんとなく見えてきたことと思います。
こうして見ると、視聴者を大きく裏切って大成した映像作品として思い出せるのは『魔法少女まどか☆マギカ』です。
で
「シャフトのポップな画面」
で
「カラフルなトーンの魔法少女アニメ」
は、第三話でその様相を大きく裏切りました。
視聴者が無意識のうちに強固に作り上げてしまっていた「この世界観でこんなことが起こるはずがない」という前提を派手に取り壊すことが、本作に仕掛けられたトラップでした。
裏切りという手法が人に与える効果は、今も昔も変わらないようです。
-
まとめ
「AなのにB」という裏切りを大成させるため
・Aのイメージを出来る限り強固に作り上げ
・「Aにこんなことがあるはずがない」という、裏の概念を自分の中で強化し、Bとして体現する
というフローを意識づけることが、観客への大きな揺るがしを与える手法のひとつではないかと考えずにはいられない一日でした。
というわけで最後に僕の考えた最強のイメージの裏切りを置いておきます!!!
La jeune fille sera heureux.
(この娘は幸せになります)
おしまい。
※追記
冒頭で書いたとおり、マグリットもまた他のシュルレアリスム作家同様、「ちょっとよくわからない」という印象があると思います。
しかし一時期は上記の『不思議の国のアリス』のように印象派のような明るい柔らかなタッチを志向していた時期もあったようです。
その理由もまた当該展示で確認できます。
展示は6/29まで。
【4/23 解読完了】ヘスティアナイフの文字解読がしたかったけどロキ様のかわいさを伝えたかった話
【4/23 解読完了しました】
『ダンまち』の世界には看板や名前に書かれているアルファベットベースの文字(というかアルファベットそのまま)が使われているが、今回最新話で別の文字が出てきました。
だいたい12:30あたり。
ヘスティアナイフに刻まれた文字はどうもひらがなベースのようです。
今のところ峰の方から順に読めたのはここまででした。鍔の方から読んでます。
スペースのところで改行してます。
4/22更新
・「文字の左上にひとつ点」で濁音。
・「っゃゅょ」はそのまま小文字で表現。
4/23更新
・ほぼ確定したテキストを太字。
・「ろ」「も」「ま」「こ」「て」の区別に困る。
4/23更新2回目
・一部修正して完了。推測で埋めた文字は[ ]で囲む。
1行目
そのみをかたちづくるのはしんじつのぎん
(その身を形作るのは真実の銀)
[み]すり[る]のかがやき
(ミスリルの輝き)
※ミスリル…RPGでよく出てくる高い銀。true-silverとも呼ばれるので真実の銀。だいたいオリハルコンよりは価値が低い。
まことのひかりは ほかのだれもがてにしたところで
(真の光は 他の誰もが手にした所で)
2行目
そのかがやきをくもらせる
(その輝きを曇らせる)
こころせよ
(心せよ)
やいばをぬくことができるのは
(刃を抜くことができるのは)
なんじがみとむ
(汝が認む)
3行目
なんじとちをわけたつかいてただひとり
(汝と血を分けた使い手ただひとり)
4行目(刃の部分)
なんじ[め]がみへすてぃあの[ぶ]んしんなり
(汝 女神ヘスティアの分身なり)
やみをきりさくろのほのおをや[どし]
(闇を切り裂く炉の炎を宿し)
あるじのみちをきりひらけ
(主の道を切り拓け)
えいえんのはんりょとなって あるじをまもれ
(永遠の伴侶となって主を護れ)
峰の方がヘスティアへのメッセージ、刃の方がベル君へのメッセージでした。
えーと、あれですね。
端的に言うと
「リア充お幸せに!!」
という内容でした。つらい。ほんとうにつらい。
『解体新書』が翻訳作業に入った当時、「眉毛は目の上に生えている毛です」という一文を翻訳するの2日かかったという話がありますが、翻訳や解読作業をしているとどうしても解けていく楽しさと文章の内容が比例してしまう(もしかしてすごいことが書かれているのでは!?)という感覚を身をもって体験しました。
でもこれで最新話以降、同じようなテキストが出てきた時にささっと読めるようになりました。
"""違いのわかる人"""としてダンまちをエンジョイしていく次第でございます。
ひらがなカタカナベースの漫画文字といえばやはりハンターハンターの文字が有名ですが、だいたい上下反転、線対称の記号化、画数の簡素化/複雑化、アルファベット表記の改変で構成されてるのが常かと思っているのですが、素人が解こうとすると意外と大変だ…。
濁点/半濁点の法則も見えてこない。
最新話配信までゆっくり解こうと思います。
全部解けたら褒めてください。
※ここから本文
アアアー!!!
ロキ!!
ロキちゃん!!
ロキ様!!
ヤスダスズヒトのキャラデザなのに!!なのに!!
どォゥしてッ!!そんな極限まで削ぎ落としたッ!!御姿ッ!!デッ!!この世界に顕現してしまったのォー!?
だがそれがいいィッ!!無駄のないその御姿(主におなか)とッッ!!
どこから覚えてきたかわからないッ胡散臭い関西弁がァーガッ!!!!
ンンン!!
マァーヴェラスッ!!!!
シカコォォグッド!!
ヘスティア様に押されに押されて全然pixivでイラストが増えないロキ様ァ!!
だが僕にはわかる!!ロキ様が実はすっげー大物だってこと!!ンガッ!!
僕だけェの!!トリックスタァーにッなってェ!?いろんなイタズラしてくれェー!!
しまいには野火になって!!この下賎なる身を焼いてくれェー!!
アッアッアー!!(ここで絶命する)
(pixivのイラスト、ロキ様は4/21時点で8作品くらいしか見当たらない。ヘスティア様は4000件を超える)
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか (GA文庫)
- 作者: 大森藤ノ
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2013/03/14
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
風邪が治らないから寝るよ!!!(本当に治らない)
ヘスティア様のヒモになるのは一筋縄ではいかないようです(ヒモだけに)
2015年春クールのアニメが始まりました。
しぶりん~みくにゃん~みゃーもり~えまたそ~とやいのやいの言っているうちに世間ではだいたい雪は解け北陸新幹線が開通し、東京の桜はほぼ散りました。
ちなみに僕の地元ではアニメが映らないしまだスキー場は開いてるし花見はゴールデンウィークにやるものなので2015年の冬クールは終わっていません(そもそも始まってもいない)
消費税にもならない昇給を見ないふりをし、悲しみを忘れないままに桜の若葉萌ゆるにも勝るスピードで新作アニメを見始めました。
Fateだの苺ましまろ再放送だのアルスラーン戦記だのと、いよいよ最先端が何かわからなくなってきている混沌した番組構成の中、僕のアニオタ要素を積み続けてきてくれたJ.C.Staffから爆弾が届けられました。
!?
!?!?
!?!?!?
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』
神を自称するふにふにした彼女を縛る「ヒモ」は瞬く間にインターネットを席巻し、「ヒモになりたい」という言い回しが持つ本来の意味合いを数日の間に書き換え「ヒモ(物体)になりたい」という意味になってしまいました。
キャラクター原案ヤスダスズヒトの破壊力は伊達ではなかった。あとロキちゃんのおなか。犯罪だ。
僕だってなれるものならヒモになりたいし叶うなら経済的にもヒモになりたい!!
バブみという単語が伝播し始めてはや数ヶ月経ちますが、オタクは赤ん坊の次はヒモになることを希求しているようです。もはや生き物でもなくなった。
だが待てしばし。本作の1話を繰り返し(主にAパート6:10-以降)を繰り返し見る度、ヘスティア様のヒモは聖人のような存在なのでは?という気持ちになってきたのです。
絶対に離れてはいけない(ただし向こうの都合で離されるときはある)
作中、ヘスティア様はとにかく元気。
腕を振り回し、主人公ベル君に跳びかかり、時に怒って家から飛び出してしまう。
それでも文句を言わず常にくっついていなければなりません。
その割に着替えの時はヘスティア様の都合で外されてしまう。
そんな彼女の都合通りについていかなければ彼女のヒモにはなれない。
絶対にキレてはいけない
どんなに腕を広げびろんびろんに伸ばされても、簡単にキレてはいけません。
そんな柔軟性を持ち合わせ、振り回されるがままに耐えなければヒモにはなれない。
彼女の大事な所を支え続けなければいけない
ヒモはヘスティア様のふにっとしたむにむにのアレを常に支え続けなければいけません。
これは一種のご褒美とも言えますが、残念ながらヒモゆえに支えることしかできず、それ以上のことは何も出来ない。ヒモだから。
そんなギリギリのところでのお預けを永劫耐えなければヒモにはなれない。
そしてなにより、ヒモがどんなに頑張ったところでヒモはヒモ。
残念ながらヘスティア様の気持ちはベル君一筋なわけで、おそらくヒモに気持ちを向けてくれる日が来ることはないでしょう。
その上でヘスティア様が隙を見てはベル君に甘言を囁きかけるのを間近で見続けなければならないのです。
嗚呼、なんて健気なヒモ。そして報われることのないヒモ。
それでもあのヒモが放つ存在感。
ヒモという人外が、これほどまで強く「なりたい」という憧れの存在になったことがあったでしょうか。
主人公ベル君の「強くなりたい」という気持ちと、「ヒモ(物体)になりたい」という気持ち。ここに大きな違いはないはずです。
この何者にも代えがたい純粋な気持ちの行く末を、本作とともに見届けたいと思います。
(おしまい)
「透明じゃないあなたは美(味)しい」―『ユリ熊嵐』はあなたに警告し、あなたを承認する。
↑弱 肉 強 食 鮭 肉 サ ー モ ン
『ユリ熊嵐』が最終回を迎えました。
幾原作品としては『少女革命ウテナ』、『輪るピングドラム』に続くオリジナルアニメで、1クールの作品としては類を見ない濃密さと整然性を保ちながら素晴らしい幕引きを迎えました。
「タイトルにユリとかマジかよ…」
「なんか画面が少女漫画チックすぎてちょっと…」
「この人の作品、用語とか設定が難しいからよくわからない…」
幾原作品の第一印象は「奇抜」と評される場合か多いと思われますが、いずれの作品に於いても描かれる人物描写やメッセージはどれも普遍かつ明確であり、奇抜なビジュアルや設定は飽くまでそれを引き立たせるための舞台装置でしかありません。
かくいう僕もピングドラムを初視聴した時「なんか面白いけどウーン?」というもやっとした感想しか得られなかったのですが、ユリ熊嵐の放送に合わせて並行して観直したところ「こんな綺麗な作品があるものか…」と最終話視聴後に呆然とならざるを得ませんでした。
断絶/箱/スキ/キス/透明/苹果/熊/運命/回想/炎/罪/手紙/判決/生/死/性/2+1 って気持ちです
— サカウヱ(不憫女子愛好家) (@sakasakaykhm) 2015, 2月 26
↑ピングドラム視聴直後の感情(何も伝わらない)
今ならピンドラもバンダイチャンネルで見放題だ!!
http://www.b-ch.com/ttl/index.php?ttl_c=3033
1クールという短さもあり、ユリ熊嵐はこれまでのイクニ作品を理解するために最適な入門作としておすすめできます。
「今までイクニ作品にちょっと興味あったけどピングドラムも2クールだしウテナは4クールだし長くて…」と二の足を踏んでいた方、是非ともユリ熊嵐を見ましょう。
そしてまたこの記事を見に来てください。
きっと「そうだ、そうだよね」と笑顔になれると思います。
ここから下にネタバレを多分に含みながら本題に入ります。
■警告―あなたはクマですか?人ですか?
↑こんないい子が…がうがう…
既存のイクニ作品でも多数見られますが、ユリ熊嵐に於いてもさまざまな相対性を孕んだ要素が散りばめられています。
クマ―人
透明な嵐に馴染む人―透明な嵐に馴染めない人(=悪)
大嫌い―大好き
スキ―キス
壁―扉
欲望―自律 などなど…
「クマが襲ってきたぞ-!!壁を作って人の世界を守れ-!!」と躍起になってたはずなのに、結局壁の中で透明だの透明じゃないだのと同士討ちをしている。
そしてそれは人の世界だけではなくクマの世界もそうだった…。
「あいつきらーい!!排除―!!」と拒絶した相手も、結局同じ構造の中で生きているのは非常に強烈なシニカルメタファです。
君―ワタシに、そうそう大きな差などないのです。
そして最終話で紅羽という人は、自らクマになった。
それまで「クマが人に化けることはあっても、人がクマになることはない。純然たる人だけを選別し透明な嵐となれ!!」と信じて疑わなかった人たちは恐怖します。
これは紅羽クマそのものに対しての恐怖ではありません。
「もしかして自分もいつかクマになってしまうのではないか、あるいは既にクマなのではないか??」という、絶対に誰にも拭えない恐怖です。
透明な嵐の人々は、明日には私はクマになっているのではないか…という恐怖と共に永遠に生きていかなければならなくなりました。
「迷うな!考えるな!撃て!!」
思考停止が唯一の希望。
紅羽を撃つことは、将来の自分たちを撃つにも同義でした。
現実でも一緒です。
「犯罪者は重罰だ」と語る人も、ふとしたきっかけでその罰を受ける側に回る日を否定はできない。
完全な「正」などありえない。
透明な嵐という、巻き込まれた人々に安定(らしき)ものを与える空間は、外からでも中からでも、いつでも崩れる危険がある。
そんな警告が最終話で提示されました。
…ここまで読んで「そうだそうだ!!私のようなハジキものを生み出したあいつらめ!!お前らこそ透明な嵐だ!!」と、具体的にでもぼんやりとでも思ってしまった人。そうしたあなたこそが透明な嵐にもう巻き込まれているかもしれない。
だって透明な嵐は、巻き込まれてしまえばその大半が巻き込まれていることにすら気づかないのだから。
警告は常に外部だけに示されるものではない。
銃口は常に自分たちにも向けられているんです。
狩るものは狩られることもある。
そういうところは幾原監督の厳しさかなと思います。
しかし、厳しい人はそれだけ優しくもあります。
■救済―嵐の抜け方も、その後の生き方もあるんだよ
最終話で一番ひっかかったのは銀子のセリフ。
「食べる前に透明になったら美味しくないからだ、がう…」
これも相対性を以てすれば
「透明じゃないあなたは美味しい」
と、僕は読みます。
こんなこと言われたいし、言えたらそれはそれで誰かを救えると思いませんか。
透明でないあなたにこそ価値を見出してくれる人(クマ)もいるのではないか、そういう救いを感じずにいられないわけです。
そしてそれは既に透明な嵐にいてもできることです。
亜依撃子は透明な嵐を静かに抜け出し、メカこのみを「見つけ」出しました。
あなたはメカこのみかもしれないし、誰かにとっての亜依撃子にもなれるかもしれない。
スキを宣言するのは怖い?それも大丈夫。
「約束のキス。僕からすればよかったんだ。ね?」
こんなにささやかに、しかし強烈に生を肯定するメッセージ。
そういう生き方を誰かとできたらステキですね。
「気を抜くな、しかしきっとあなたは見つけるし、見つけられるだろう」
そういう優しさを、前述の警告と同時に感じすにはいられないのです。
■これから
結局、ユリ熊嵐の世界は大して変わりませんでした。
銀子も紅羽も排除され、透明な嵐は相変わらずの安定を得た。
でも純花のスキが紅羽を動かしたように、今度は紅羽のスキが亜依撃子を動かした。
スキは人を動かす。愛の弾丸、LOVEずっきゅん。
“ふた ふた ふた 二人が急接近したあの日から
貝殻集めて歩くのやめました
ラブ ラブ ラブずっきゅん
ラブ ラブ ラブずっきゅんだね
ラブ ラブ ラブずっきゅん
君にほら ラブずっきゅん”
LOVEずっきゅん 【PV】 相対性理論 - YouTube
これぞセクシー、シャバダドゥ!!
(おしまい)