心にaikoが住み始める瞬間を、君は感じているか。
真顔日記の上田啓太さんをご存知だろうか。
おそらくインターネット上で一番aikoに近い存在である。
2行目にして既に常識が崩壊している感があるが、今のところ筆者はまともである。
どんな人物かは御本人のブログを読んでもらいたいが、読むのが大変だという人は以下の引用を確認いただきたい。
上田さんは自分の中にaikoがいる人であり、自称aikoの人なのだ。
あいかわらずaikoを聴いている。というか、この書き出しはもはやこの日記において、「あいかわらず酸素を吸っている」くらいの意味にしかならない気もするが、あいかわらず聴いている。何度聴いても、自分のことを歌っているとしか思えない。私の中にはaikoがいる。
はじめのうち、自己の内側にaikoを感じることは特殊な体験のように思えるが、やがて慣れて気にならなくなる。すると自分がaikoであることはただの常識になる。一月の次に二月が来るように、私の中にはaikoがいる。だからこの日記でも当然のように、俺はaikoだ、俺はaikoだと繰り返してきた。
記述している内容自体は狂気であるが、その明瞭かつ冷静な文面からはそれが異常なことであるようには感じられない。
それはまるで上田さんの世界の道理がたまたまこうなっているだけであって、例えば右ハンドルの車と左ハンドルの車が世界には当たり前に存在しているように、aikoが心の中にいる人とそうでない人がいるだけというように感じられる。
というか実際この世界はそうなのだ。aikoが心に在る人とそうでない人。
君の心の中にaikoはいるか。
しかし実際に他人である歌手が、見ず知らずの人の中に存在しうることなどあるのだろうか。
ちなみに上田さんは別の記事によると、aikoと居酒屋で恋愛談義をする夢すら見ている。
そのレベルでaikoの存在が「近い」のだ。
憧れや心の支えとして、アーティストやシンガーが誰かのために存在しうることは疑いの余地はないだろう。
しかし一種の隣人のように、自分の中にそのシンガーが「在る」ためにはどうしたらいいのだろうか。
仮に楽曲が視聴されている回数に比例して、シンガーが人の心に住まうとしよう。
そうした場合おそらく日本人の心の中に一番存在するであろうシンガーは、稲葉浩志とみていいだろう。
デビューから30年、国内で一番CDが売れているシンガーである稲葉浩志は日本中の人々に内在しているのではないか。
全国1億人の稲葉浩志がそこにいる。
かくいう僕もその一人で、兄が聞いていたベスト盤Pleasureの音源で小学生の頃に刷り込みが行われ、その数年後、高校生の頃から自発的にB'zを聞くようになった。
以来15年、ソロ音源やさまざなインタビューを通して稲葉浩志の声や仕草を確認してきた。
ちなみに一番好きな稲葉浩志の言動は「(スタジオが近かったので)俺昨日とかママチャリで来たからね」と嬉々として語る瞬間だ。
あの稲葉浩志ですら自転車で通勤することはテンションが上がってしまう事例なのである。いかに「チャリで来た」という行為が人間を昂ぶらせてしまうかがよくわかる。
B'zパイセント、ガウガウサセテ頂キマシタァァア(「゚Д゚)「ガウガウ マヂデ2人ノオーラ半端ナイッス、、、本当二DREAM FESTIVALアリガトウゴザイマシタァ!!! pic.twitter.com/nIpviAuM1f
— MAN WITH A MISSION (@mwamjapan) November 21, 2015
※昂ぶった稲葉浩志の一例
そんな小市民でありカリスマである稲葉浩志を15年観測してきた。
そのはずなのだが、一向に稲葉浩志が僕の生活の中に現れる様子はない。
なぜだろうか。
近年のソロ楽曲などでははまた違った傾向が見られるが、稲葉浩志は「生き様」を歌うことが多い。
稲葉浩志の作詞曲は何百曲という膨大な数が存在するが、ものすごい要約すると「ダメな俺が君を泣かしてごめんね」という君と僕の関係を歌ったもの、あるいは「いろいろあって生きるの大変だけど、お前らがいるからなんとかやっていけそうだよ」といった人としての生き方をテーマにしたものが多い。
具体的なシチュエーションを想定した楽曲はさほど多くなく、初期の楽曲で豪遊する女に振り回される男を描いたバブリーなシチュエーションが比較的多く見られる程度である。
大まかな舞台設定は見られるもの、aikoの楽曲と比較するとシチュエーションの具体性はそれほど高くない。
そんな中でも、具体的な生活に密接している例として、車の運転に関係するものがいくつかある。
以下に例を挙げる。
何考えてるのあなた 誘拐だわこれは
助手席で怒り狂ってるけどもう かまうもんか
Crazy Rendezvous/B'z
まっ黄色いTシャツ着ちゃって 歌いだしそうな表情さらして
ダンナと仲良く腕組んで道横切ってんのは オマエだろうつっこんじゃうぞ アクセルべったり踏んで
大渋滞のせいじゃないこんなひどい頭痛
Liar! Liar! /B'z
前者は夜のドライブデート中に無理やり予定外のコースを走り回り女を困惑させる曲、後者はいろんなもの嫌気が指していたところに、幸せそうな昔の女を見かけてしまい追突を意識してしまう曲である。
どちらも文面にするとなかなかの狂人ぶりで、作詞した当時の心境が心配になる。
いずれのシチュエーションも反社会性が高く、なかなか稲葉浩志を具体的に生活に反映させることは難しい。
それよりもモテるためにヌンチャクを始めたとか、コンビニに行ってつい豆大福を買ってしまうとか、枝豆が一房に四粒入ってると幸せとか、そうした小出しにされる稲葉浩志の小市民エピソードを参考にした方が稲葉浩志に近づける気がする。
人を身近に感じるには、やはりそれなりに普段の生活に近い物語を観測しなければならないのだ。
そういった意味において、aikoは些細な日常の中に潜む所作に感情を見出し、それらを歌詞に反映させている。
例えば「ストロー」という曲のサビではこう歌われている。
君にいいことがあるように 今日は赤いストローさしてあげる
君にいいことがあるように あるように あるように
ストロー/aiko
繰り返しのフレーズとメロディで一聴して覚えられる曲だ。
歌詞全体を読んでみると、同棲か、半同棲している恋人との暮らしの中に生まれる様々な感情を表現した内容になっている。
例えば前述した稲葉浩志の枝豆の話も、「枝豆四粒入ってたら 一粒は君におすそ分け」といったようにすると、途端に稲葉浩志のエピソードなのにaikoっぽくなる。
稲葉浩志がaikoっぽくなることで、急に稲葉浩志が身近に感じられるようになる。
「うおっ、すげえ、見て、四粒!四粒!」と喜ぶ姿がありありと目に浮かぶ。
これがaikoメソッドである。
生活の細かい間隙を丁寧に観測すれば、稲葉浩志もaikoもいずれ出会えるかもしれない。
いつの日にかそう思うようになってきた。
そしてその日はやってきた。
とある飲食店でドリンクを頼んだときのこと。
ついにその瞬間が来てしまった。
以下の写真を見てほしい。
赤いストロー。
瞬間、あの声が聞こえてくる。
「君にいいことがあるように 今日は赤いストローさしてあげる」
脳内に流れる、あのフレーズ。
aikoが脳内で、はっきりと歌い始める。
「君にいいことがあるように 今日は赤いストローさしてあげる」
この瞬間、ついに僕は自分の中にaikoを存在させることに成功したのだった。
心が、すっと暖かくなる気がした。
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aikoはこのように、日常の中に突然その存在を露わにする。
今一度、冒頭の上田さんのテキストを読んでほしい。
先程まで何を馬鹿な、と思っていた「私の中にaikoがいる」というフレーズが、急に現実性を帯びて差し迫ってくる。
aikoは存在する。日常の中に、僕らの心の中に。
それでも「aikoが自分の中にいるだって。馬鹿馬鹿しい。そんなのは貴様の妄想である。テキストを通して他人が自分の中に生まれることなどがあろうか」
そう思う方もいるかもしれない。
ならば、その答えもまたaikoから教えてもらうことにしよう。
このフレーズを読む限り、aikoもまた心の中に誰かを存在させているとしか僕は思えないのである。
何度も何度も何度も 読み返そうか
だけどそんなに読んだら あなたは嫌かな
何度も体に入ってきてしまうの…Loveletter/aiko
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