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1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

早くヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qのネタバレ考察記事を書かないとヒットが稼げない ※巨神兵もあるよ!

普段全く自室でひとりで飲むなどということは一切しないのだが、山本じょーねつという元高学歴社畜を見習って今日は飲みながら記事を書いてみたいと思う。

 

一時期ついったーのアイコンだったし、今もはてなのアイコンが真希波さんなくらいには僕はエヴァーに親しみを持っているので、初日にエヴァーQ見てきたというのはある予定調和みたいなところもあるのだけど、単純に楽しみだったので雨ざらしになりながら見てきました。

めんどくさいので以下ネタバレを多分に含みながら書きます。

 

 

巨神兵東京に現る

 10分ばかしの映像だったけど、やはり実写を混ぜながらその中にあらゆる人が無力になる圧倒的な存在が降り立つっていう映像って不思議と緊張する。正直この作品すごい怖かった。やっぱり樋口真嗣すごい。米国映画ではそういうのいくらでもあるけど、日本ではとんと少なくなったような気がする。ゴジラガメラもやらなくなったし。

 残念ながら特撮映像についてなんのバックグラウンドも持ち合わせていないので、体系づけて感想を述べることができない。それでも「巨神兵 宮崎駿」「東京のジオラマ化」という二点で話をつけたい。

 ・「巨神兵 宮崎駿

  エンドクレジットでの記載である。宮崎駿巨神兵らしい。

  ナウシカでの巨神兵はすべて風化、残った一体も不完全な状態で存在するだけだった。なので「完全体が活動していた時はどんな感じだった?」を描くことは想像が膨らむところだったと思う。巨神兵のカットが庵野担当だったことは周知の事実だし、巨神兵への思い入れは相当のものなんだと思う。

 ベタな書き方だけど巨神兵は世界を壊すもの、もとに戻すもの、その判断を下すものなので宮崎駿はそういうものだということになる。ミニチュアと化した東京を宮崎駿は破壊する判断を下す、ということなんだろうか。

 ・東京のジオラマ化

  映像演出でひっかかったのは実写とジオラマの混合映像だった。林原めぐみのナレーションでは渋谷や新宿の実写映像だったのに、巨神兵が出現してからはジオラマになる。さらに人は貼りこみ画像だった。(ケータイで巨神兵の写真を撮る人たち、巨神兵が動いても微動だにしないところなど)

  巨神兵が破壊したのはリアルの世界ではなくジオラマの東京だった。ゴジラのように人々が逃げ惑うことのない世界だった。だとしたら巨神兵はそんなもの破壊してなにか意味があったんだろうか?

 劇場化社会において人々は本当の危機においても逃げることを知らない。そんな事件や事故はいくらでも思いつく。林原めぐみのナレーションで繰り返し使われた「逃げろ」とは劇場化社会でジオラマの一部と化した人々への言葉のようにも聞こえる。

 

以下はエヴァーQのお話です。

 

■総括

 「これトップ2かよ」が僕の第一印象でした。というか前日の日テレでの先行放送ですでにそう思った。なんだよ宇宙空間で女子二人で宇宙浮遊体を迎撃するとか。

 そしたら鈴原の妹はみゆきちだし零号機ベースの新型エヴァはむにむに変形するし、ミサトさんのサングラスは覚醒ノノだし、13号機はファンネルで戦い始めるし、鶴巻テイストがふんだんに盛り込まれてて絵面的には割と好みなところが多かった。あと伊瀬茉莉也が出てたのもよかった。バリバリの萌えアニメよりある程度リアリティの求められる作品の方が合うと思っていたので。

 とはいえ破のようなカタルシスはなく、これでのつながりを振りきって新章ヱヴァが始まったなという印象。なので次作で完結するまでは暫定的な評価で落ち着けたいところ。

セカイ系の選択、その先を

 Qの大雑把な展開そのものは、破を見た直後からの予想と大幅なズレはなかった。ざっくり言えば「ヒロインを選んだセカイでのその後が描かれる」ことは素人目からしても明らかだった。

 この10数年で「セカイとヒロイン、どちらを選ぶか」の答えを曖昧にしたゼロ年代の作品から、10年代ではその選択すら失われた「ヒロインだけが既に用意された世界(セカイではない)」作品が跋扈した。もはや10年代では主人公や視聴者はセカイを見捨てた。

 ぶっちゃけて言えば「もう社会終わってるし、それだったら身近なかわいい女の子とキャッキャウフフしてた方が楽だし楽しいよね」ってのがここ数年のヒロイン消費のベースとなっている。だってセカイつまんねーんだもん。すでに選択の価値すらない。

 

 EOEと違い、破でシンジ君は自分の意志ではっきりと「綾波だけは助ける」ことを選んだ(おまけにその直前で世界なんてどうだっていいと明言している)。結果シンジ君は綾波を助けることに成功した(かのように見えた)

 きっとQの世界で目覚めることなくいたら、シンジ君は夢のなかで自分の助けた綾波ととても居心地のいい世界を作っていたことでしょう。

 

 しかし実際はそうでなかった。ヒロインを選んだがゆえにセカイは崩壊し、崩壊したセカイに暮らす人々はシンジ君を戦犯のように扱い、それをシンジ君に押し付けた。

 「いや綾波助けたかったんだし使徒も倒したんだからいーじゃん!ていうかミサトさん自分のために戦えって言ったじゃないすかー!!」というのが恐らく冒頭30分でシンジ君の言いたかった叫びだろう。

 

 Qでのシンジ君は非常に視聴者に偏った位置からスタートする。また無自覚ながらセカイではなくヒロインを選んだことは、先に述べた10年代のオタクのヒロイン消費を如実に反映している。

 

 さらにシンジ君にとって悪いのが、綾波を助けたことでセカイが崩壊したことは無自覚な過ちだった、という言い訳がまだつくのに、その取戻しをしようとした結果また同じことをしてしまうところである。

 セカイのために行動するのではなく、「セカイをやりなおそう」と提案したカヲルのために彼は行動してしまう。これでは破と同じ結末である。しかも今回は自覚的に彼は過ちを行う。結果はミサトさんに撃ち落されるというしょうもない感じである。

 ガキシンジの完成である。

 

 別に作品にそういうテーマがあるかは別として、Q10年代のオタクのヒロイン消費の顛末をだいぶわかりやすく表現していると思う。「お前らが二次元ヒロインにhshsしている間にお前らがhshsする余裕すらなくなるくらい世の中崩壊するよ」という作品のように感じた。

 

 ラスト、エントリープラグでひきこもるシンジ君は完全にEOEの再来だった。しかしひとつ違うのはTV版~EOEはシンジ君は被害者的な側面が強かったのに対して、今回カヲル君のためにーウフフーとかしてるうちに引き起こした過ちをシンジ君は明確に背負わされている。

 自分がした過ちをわかりやすく背負っている。きゃつは今回間違った。

 

 しかし式波・アスカ・ラングレーさん(28)は優しかった。

 あの加害者シンジ君を引っ張りだした。EOEミサトさん(29)のようにネルフ指揮官としてシンジ君を引っ張りだすことなく、ガキシンジをガキシンジとして引っ張りだした。

 ガキに生きるチャンスを与えるというある意味ひとつの到達点に達したツンデレがそこにありましたね、ええ。

 

 なのでとてもQは優しい作品だと思っています。

 ただそれをエヴァでやることの反発はあるだろうし、そもそもそんな優しい世界も人もいねーよっていう嘆きもあると思います。あるいはあんなん優しさでもなんでもねーよって意見もあると思います。

 個人的には(EOEと比較して)かなり前向きな終わり方を迎えるのではと思います。

 それをエヴァでみたいかみたくないかという気持ちはあるにせよ、多分みんな見てしまうんじゃないでしょうか。

 

 あと全然関係ないですが真希波さんのメガネがもう完全にウルトラセブンで、おっぱいも14年で結構発達なされたことは刮目すべき点かと思います。

 マリ×アスカの薄い本市場が活発になることを切に願ってやみません。

 それとYS11名義でS2 ENGINEって薄い本早くお貞さんには出してほしいですよろしくお願いします。