マグリットから学ぶ裏切りと解放のしくみ―「青い子なんて言わせない」
行くまで知らなかったのですが、現在ルーブル展も同時開催されております。
チケットを買いに並んでいると
「マグリットはうーん…よくわかんないよね(笑)」
「ねーなんか変だよね(笑)」
という渋い会話が前のカップルから聞こえてきました。
もちろん彼らはルーブル展のチケットを買ってましたとさ。
そりゃルーブルはルーブル(愛)だからね。お二人様、それは至極まっとうな思考ですぞ。
僕もルーブル展行こうとか素直に言えるような人生を送りたい。
そんな思いを乗り越えた向こう側で観覧したマグリット展。
そこから学んだ裏切りの方法が本日のテーマです。
少し真面目な話。
-
裏切りの実施例(およびその体験)
ではまずこの作品のタイトルを想像してください。
決まりましたか?
この作品のタイトルは『呪い』です。
繰り返します。 『呪い』 です。
…急に不穏になってきましたね。
次です。
この作品のタイトルを想像してください。
もしかしたら当たった人もいるかもしれません。
『前兆』です。
今にも雪崩が起きるかもしれない不安な絵になりました。
ちなみにどちらの作品もこの展示で見ることが出来ます。呪いや前兆を是非、生で感じてきてください。
このようにマグリットは作品に一見無関係なタイトルを付すことで、観客が絵画に対して持つであろうイメージを崩しにかかるという方法を採っています。
このイメージの崩壊を可視化すると以下の様なフローになります。
「わーきれいな空の絵だなあ」
↓
「この作品のタイトルは『呪い』です。(ただし呪いと言っているだけで、この作品自体が呪われてるとか、そういうことを説明しているわけではない)」
↓
「えっなにそれこわい。この作品にどんな意味があるのだろう(しかし何が怖いのかは観客にも説明できない。ただ漠然と、自分の中にある「呪い」という単語に含まれる概念をこの絵画に重ねているだけで、この作品自体に怖さがあるわけではない)」
この方法を最も端的に示したのが、有名作『イメージの裏切り』です。
どう見てもパイプの絵なのに、下には「これはパイプではない」という一文。
ではこのパイプ(のようなもの)はなんなのか?
観客は絶対に示されない答えを悶々と考えさせることになります。
作品の視覚情報が持つ常識や普遍的なシニフィエ(表象される概念)を、タイトルやキャプションによって否定したり歪曲することで、観客は一気に常識から解放された状態で作品を鑑賞することになります。
マグリットはこの方法で観客へ「作品は自由に鑑賞してね」という姿勢を示しているように感じます。
「これは何に見えますか」
「パイプの絵ですね」
「これはパイプじゃないんですよ」
「えっじゃあなんなんですか」
「それは自分で考えてね~(ハァコリャコリャ」
といったように。
上述した作品以前に、タイトルが作品を作品たり得るようにした前例があります。
『泉』マルセル・デュシャン
「マット=サン(デュシャンは敢えてマットという偽名で出品した)、これは便器では?」
「これは『泉』という美術作品です」
(買ってきた便器にサインしただけだけどね)
「アイエエーないわー!!こんなん美術じゃないわー!!出展ダメね!!」
「(デュシャンが別人として批評)彼が既成品を美術作品にしようとする姿勢自体は否定されてはいけないのでは?」
「ぐぬぬ」
本作は美術館の作品は美術たらねばならない!!という当時の姿勢を風刺した作品でもありました。
いかに人間が既に自分の中にあるイメージや設定、情報で作品を鑑賞しているかがわかります。
「値の高いモノなんだからきっと素晴らしいものなんだ」
この手の思い込みのような姿勢は、日常のそこここに潜んでいるように感じます。
- 現代のコンテンツに見る裏切りの方法
そして実体のイメージと相反したキャプションをつける行為は、最近だと画像大喜利サービスboketeで体現されています。
元の画像は死の舞踏の一枚だったか黒死病の風刺画だったかと思うのですが、この実体が本来持っている非常にシリアスなイメージを、全く無関係なキャプションによって裏切ることで笑いが成り立っています。
しかしイメージを裏切って「笑わせる」ことを目的としているので、マグリットの方法に比べて観客の自由度は格段に下がっている点が異なります。
よって観客を笑わせられなかった場合、イメージの裏切りサイクルから外れてしまいますから、この作品は「スベった」という評価をつけられることになります。
人を惹きつける「裏切り」がどんなものか、なんとなく見えてきたことと思います。
こうして見ると、視聴者を大きく裏切って大成した映像作品として思い出せるのは『魔法少女まどか☆マギカ』です。
で
「シャフトのポップな画面」
で
「カラフルなトーンの魔法少女アニメ」
は、第三話でその様相を大きく裏切りました。
視聴者が無意識のうちに強固に作り上げてしまっていた「この世界観でこんなことが起こるはずがない」という前提を派手に取り壊すことが、本作に仕掛けられたトラップでした。
裏切りという手法が人に与える効果は、今も昔も変わらないようです。
-
まとめ
「AなのにB」という裏切りを大成させるため
・Aのイメージを出来る限り強固に作り上げ
・「Aにこんなことがあるはずがない」という、裏の概念を自分の中で強化し、Bとして体現する
というフローを意識づけることが、観客への大きな揺るがしを与える手法のひとつではないかと考えずにはいられない一日でした。
というわけで最後に僕の考えた最強のイメージの裏切りを置いておきます!!!
La jeune fille sera heureux.
(この娘は幸せになります)
おしまい。
※追記
冒頭で書いたとおり、マグリットもまた他のシュルレアリスム作家同様、「ちょっとよくわからない」という印象があると思います。
しかし一時期は上記の『不思議の国のアリス』のように印象派のような明るい柔らかなタッチを志向していた時期もあったようです。
その理由もまた当該展示で確認できます。
展示は6/29まで。