推しがいなくていい。欅坂46そのものを推せ。
人生で初めてアイドルというものに心から感動しています。
欅坂46という集団がすごくて、エモくて、もうどうしたらいいんでしょうか。
・「欅坂46という集団」であることの意識
まずは衣装を見てください。
無個性、というよりは少個性といった方がいいでしょうか。多少の差異は年齢などで設定されているものの、一見した程度ではほとんど違いがありません。
露出も極めて少ないシンボリックな衣装は、つとめて彼女たちを欅坂の一部たらしめる軍服のような様相を呈しています。
またマスゲーム的な振り付けは、MVというよりも舞台のパフォーマンスに近く、特定のメンバーのアップシーンすら逆光演出でほとんど見えません。
個人の魅力を並べる形ではなく、集団性こそが欅坂46の魅力の基本です。
つまり飽くまで欅坂46の入り口は個々人の魅力ではなく、その集団性にあるのです。
・都市性と少女性
この手の制服女子のダンスパフォーマンスと言えばフジファブリックの銀河といった先行した作品が思い浮かびます。
日常に潜むストレンジのモチーフとして、女学生の存在感がいかんなく画面に表れた名作です。
一方で欅坂46のMVは都市の記号性、特に湾岸地域との親和性を意識しています。
文化性を排除し、機能性に特化した開発の結果である湾岸地域の風景は、前述した無個性的な衣装と通ずるものがあります。
またサイレントマジョリティーのMVでは渋谷駅周辺の工事現場を使用することで、本来渋谷周辺の土地に内包される大衆文化性から明確に欅坂46の存在を分離することに成功しています。
「渋谷の裏にはこんな顔がある」、といった感じでしょうか。
それでいてかつ、工事現場という未完成の象徴の場を用いることで欅坂46、ひいては少女性自体の不完全さも強調しているわけです。
そしてコウモリが棲みつくような渋谷川にアイドルを足から浸からせる違和感は、一種のシュールレアリズムにも通ずるものがあります。
・無機質×無機質×無機質…そこから見えてくる輝き
露出の少ない軍服のような衣装、無機質な湾岸都市の風景、美しさとはかけ離れた大都市のの陰日向のじっとり感…。
それらの結果として、各メンバーの持つ個性が相対的に輝くわけです。
集団性×都市性の無機質の乗算の中から、メンバーの個性がじわり、きらりと光り出す。
それが欅坂46の魅力の第二段階です。
そして己にかけられた武装に誇りを持ってパフォーマンスを作り上げるメンバーのひたむきさに気づく頃には、彼女たちから目が離せなくなっているのです。
「推しがいないとアイドルは応援できないんじゃないの?」
そんなステレオタイプから抜け出す機会を、欅坂46は僕に見つけせてくれました。
愛を拒否しないで
二人セゾン/欅坂46