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散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

『甲鉄城のカバネリ』 『はいふり』…「○○っぽい」で勝ちを狙うアニメたち

アニメに限らず音楽でも漫画でもポピュラーな文化創作に対し、既存作品を以て「○○っぽい」と評されることは、これまで忌避されるべき事項だった。(創作の過程では実際にはそうでないこともあるが)


このワードは特には多くのクリエイター達を苦しめ、またそう言われないようにとオリジナリティについて自問自答することが、創作活動において重きを置かれてきたのは言うまでもない。

 

2016年4-6月期、オリジナル作品として『甲鉄城のカバネリ』、はいふりこと『ハイスクール・フリート』が放送を開始した。

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放送するやいなや、それぞれの評価としてインターネットでは『進撃っぽい』『ガルパンっぽい』という言葉がどんどん生産されることになった。*1
これは結果としてニュース記事にもなる状況にある。

natalie.mu

getnews.jp

簡単に説明すると『カバネリ』は「カバネというゾンビのような存在の脅威から世界を閉じた人類と、カバネに対抗すべく独自のアプローチを研究する主人公」の物語であり、『はいふり』は「女子高生が運営する艦隊と洋上保安学校の物語」だ。*2

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いずれの物語も前述した作品と設定が類似し、また主要なスタッフ構成も重複している。

 

『カバネリ』では監督・副監督・音楽・メインキャストが『進撃』のそれと、『はいふり』は原案・シリーズ構成が『ガルパン』と同じ面々となっている。
また『はいふり』は音楽制作面から見ればシリーズ構成と含めて『けいおん!』の要素を読み取ることもできる。

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新規作品の企画でリファレンスする作品があるのは当然のことである。
しかし『アイドルマスターシンデレラガールズ』が先発の『アイドルマスター』との差別化を模索したように、本来であればリファレンス作品との差分を求めるのが、これまでの自然な流れだった。
しかも『進撃の巨人』も『ガルパン』も今現在も新規作品を予定している「生きている」作品だ。

 

しかし今回取り上げた両作品とも、1話放送から既にリファレンス作品の存在を指摘されることを期待せんとばかりの構成となっていた。
純粋な作品作りという点からすれば1話から「○○っぽい」と言われることは、本来ならばネガティブな事象のはずである。

 

しかし商業的観点から見ればこれがプラスとなりうる状況に、現代はなりつつある。


アニメが毎クール数十作品が放送される状況になり「一話切り」という言葉が生まれるほど視聴者側すら作品視聴に疲弊しつつある現状で、人気作を以て「○○っぽい」と評されることは、最も端的でフックのある宣伝になるからだ。

 

そしてなにより、両作品とも1話時点で非常に面白かった。

リアルタイム視聴勢が「○○っぽい」と評した後、関心を持った後追いの視聴者が公式配信などから1話を見直せば十二分に視聴者を拡大できるだけの出来になっている。

 

結局のところどんな作品だって「面白くて売れる」に越したことはない。

 

人気作という「勝ち」を取りに行くための企画が、創作に於いて重視されてきたオリジナリティを求めるという矜持を完全に超えた作品が、今クールに2作品も同時に現れた。


「商業コンテンツ」のパラダイムシフトが、大きく始まろうとしている。

 

*1:『結城友奈は勇者である』への『まどマギっぽい』もそれにあたる。

*2:ガルパン』との大きな違いとして「キャラクターがケガをする」がある。