1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

「青い子は不憫」でいい。それでも彼女は生きていて僕たちは生かされている。

世の中「好きなタイプは好きになった人です」と言う人も多いし、個人的にはこの意見に賛成だ。

 
例えばあなたの好きなタイプが「5000兆円くれる人」だとしよう。
様々な公権力によって政府機関から謎の人物が派遣され「はい、私があなたに5000兆円あげられる人です」と名乗りを上げられたとして、ハイ大好き!となるだろうか。*1
 
逆にそんなに好みじゃない人であっても、紆余曲折を経て好きになるということもあるだろう。
これだから人生はままならない。

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代表的な青い子の様子。無条件にかわいい。
ことオタクはそうした好き嫌いに敏感である。
東で「お前らこういうのが好きなんだろ」とあけすけにコンテンツを提供されると「オタクなめんな」と石を投げ、西でコンテンツとなんのコラボもしていない飲食店を聖地と見るや、大挙して押し寄せ金を落としていく。
オタクの「好き」という感情は、まことアンコントローラブルである。
 
しかしながら「青い子文化圏」に属する青い子愛好者たちの事情は少し異なる。
青い子とはインターネットで主に用いられる「不憫な結末を迎えがちなヒロイン」を指す言葉である。
 
我々は「青い子いねがー!」と日々インターネットなまはげとして青い子探しに奔走している*2のだが、同胞からの「こいつ髪が青いぞ!」の一言で世紀末の野盗のごとき怒涛の勢いでそのキャラクターに群がる。

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一般的な青い子なまはげの様子(D.C.2018)
「やったぞ!ショートカットだ!」
「しかも主人公と幼馴染だ!こいつはイケるぜ!」
「おいよく見ろ、メインヒロインは戸松遥だ!こいつは大物だぞ!
(戸松遥がメインヒロインを担当すると不幸になる子がよく出てきます)
 

 

めいめいにその青い子を讃える雄叫びをあげる我々だが、その思いは常にひとつである。
「この子はどんな不憫な目に遭うんだ!」
 

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なまはげに怯える青い子。大丈夫私たちは君たちに優しい。

かの竜騎士07もこのように述べている*3

 

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著名な人物による青い子論。大変貴重な発言である。
 
 

 

 
悲しいかな、我々は与えられた青い子に対してあまりにも理性がなさすぎる。
ここは宇宙の果ての砂漠だ。青い子ならなんでも飲み込んでしまう。
運営:「お前らこういう青い子が好きなんだろ?オラッ、オラッ」
オタク:「んんんん大好きでしゅううう」
こうした応酬を我々は望んでやってしまうのだ。
我儘が過ぎるこのご時世、まこと扱いやすいタイプのオタクと言える。
 
ここまで読んで「なんだ、結局こいつらはキャラクターが不憫な目に遭うのが見たいだけではないか。悪趣味な連中め、デビルマン牧村美樹を想え」と思われるかもしれない。
 
ある一面ではそう捉えられても仕方ないかもしれない。
しかしそれは青い子文化圏の本質ではない。あとデビルマンcrybabyは観とけ。

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デビルマンcyrbabyを視聴した伊吹マヤ「もう見れません…!」
確かに青い子、換言して―個人的に好きな言葉でないが―負けヒロインは不憫な目に遭う。
 
だいだい叶わぬ恋をしていたり、場合によっては死ぬ。
さらにひどくなると葬式を挙げられ肉体すら残らない。最悪、助六寿司にされる。

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ほむら、巴、まどか、杏、助六の図(絶対に許さない)

 

しかしその非業の結末に至るには一定の過程を要する。
寿司ネタだって一晩寝かすものだ。
 
叶わぬ恋をするには恋に真剣でなければならない。
そしてその想いが強ければ強いほど、あらかじめ決められた結末で視聴者に与えるカタルシスは増加する。
つまり青い子とは生きることに誰よりも一生懸命な子のことなのだ。
 
青い子が不憫であること、それはそのキャラクターが物語の中で真っ当に、本気で生きてきたことの証に他ならない。

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Majiで玉砕5秒前

美樹さやかだって、谷川柑菜だって、最後まで自分の気持ちを信じた。

信じて、その先が自分にはハッピーな道ではないけれど駆け抜けた。

 

青い子の生き様に「負けたwww」と草を生やすのは容易なことだ。

しかしだ、我々は彼女らほど真剣に人生を生きているだろうか。
 

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これは箸休めのパンダです

ダーリン・イン・ザ・フランキスが放映されている。

当該作品にはコード015、通称イチゴという非常に高いポテンシャルを持つ青い子が登場している。
 

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青い子なまはげ歓喜のシーン。この日の日経平均株価は3万円を超えた

本キャラについては錦織監督もこう述べている。

 
――イチゴは、とても演技しがいのあるキャラクターに見えますが。錦織:イチゴは僕の趣味が詰まったようなキャラクターなので(笑)
 
 
かつてここまで制作側の人間が「青い子を出します」と明言したことがあっただろうか*4
 
この錦織監督の発言には2つの意味が込められている。
「物語の先に私たちはこの子を不憫にする」という残酷すぎる宣言。
 
そして「それでもこの子は一生懸命最後まで生ききる」という眩しすぎる保証である。
 
 
 
なんだ、結局アニメの世界にまた不憫な青い子が生まれるのか。
そう思うのはまだ早い。
 
我々はTHE IDOLM@STERというエポックを忘れてはいない。
本作は前述した錦織監督の監督デビュー作である。
本作もまた、キャラクターがさまざまな困難に立ち向かっていく物語だった。
弱小プロダクション所属の素人同然のアイドルたち。
錦織監督の下アニメ化され、結果どうだったか。
 
星井美希は誤解とすれ違いの中成長した。
如月千早は変えられない過去を乗り越え、その歌声を取り戻した。
天海春香は離れてしまった仲間を、自身も不安と焦燥の中つなぎとめた。
 
そして本作が現在まで続くアニマスシリーズ隆盛の起点となったことは言うに及ばない。

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劇場版も見てね


キャラクターに試練を与え、そしてキャラクターが懸命にそれを乗り越えていく姿をかくも美しく描く。

錦織監督とはそういう人だと、私は信じている。
 
 
だからイチゴが青い子だから報われない、そう思うのはまだ早いのではないか。
 

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最後にはきっと笑ってくれるさ

いや、ある意味では報われない結末が待っていると思う。

残念ながら彼女はライバルの鬼の子に対して、あまりにも凡人過ぎる。

 

それでも、一生懸命生きて、彼女なりに納得した結末を迎えさせてくれる。
錦織監督ならきっとそういうキャラクターに仕立て上げてくれる、そう信じずにはいられないのである。
 
 
そして彼女らが不憫に向かって全力で走っていく姿を見る度に、我々青い子文化圏の人間は「生きねば!」と、自らの人生への気持ちを正すわけです。
 
青い子に生かされる人生も、そんなに悪くないんです。
 
 
君が好きだってこと以外は この際どうでもいい
藍色になった君が好きなんだ 
 
君が好きだってこと以外は もう何も考えないことにしよう
藍色になって迎えに行くよ
 
藍色好きさ/ indigo la End
 
 

*1:こういうことを書くと私は好きになるぞ!と名乗り出てくる人が必ず出てくるのがインターネットだが、そういうところだぞ

*2:特にTrigger、A-1、JC staffあたりは要注意である。ここから出てくる作品群は致命傷になりかねない

*3:多分本気じゃない

*4:余談だが、錦織監督は長井監督とあの夏で待ってる本編最終話の演出に参加している。