キンプリこと『KING OF PRISM』の魅力をかなり真面目に解説するよ!
裏切りは物語を豊かにする。
信じた友達が使徒だった、
パンツではなくズボンだった…。
さらに言うならば古今東西の逸話にも裏切りは多数存在し、そのどれもが並のサクセスストーリーよりも強く印象に残る。
キンプリこと『KING OF PRISM』を鑑賞したのですが、本作の鮮やかすぎる裏切りのプリズムに、身も心も再構成されてしまいました。
もうキンプリ鑑賞前の僕はこの世にいません。
キンプリで人は生まれ変わるのです。
鑑賞前は理解不能だったキンプリの感想が、今ではラピュタ王のごとく「読める、読めるぞ…!」と自分の理解の範疇に落ちてくるようになるのですが、この万能感たるや…。
先日見かけた感想ブログではこの記事が特に秀逸でした。(鑑賞した人間にはなんのことかすべてわかる)
とはいえ、現在インターネットには「キンプリってよく名前見るけど、みんな感想が意味不明で結局なんなのかよくわからない」という方が多いのではないでしょうか。
キンプリとは?
『プリティーリズム』スピンオフ作品であるキンプリですが、あらすじとしては
「プリズムショーというパフォーマンスを鑑賞して感動した一条シンくんが、自分もプリズムショーに出演してたくさんの人を笑顔にする」
です。
非常にシンプル、かつアイドルアニメとしては王道も王道の設定です。
そんな王道アニメの、いったい何がこれほどまでに世の中に混乱をもたらしているのか。
それは観客への裏切りのメソッドに理由があります。
裏切りとは?-キンプリ以前の裏切り(Before Kinpri)
物語上で出てくる「裏切り」にはふたつの効果があります。
- 物語の世界で、キャラクターA(あるいは複数のキャラクター群)が信じていた設定Bが、実際は設定Not B(あるいはB')であったことが示される。
→これにより、設定Bを前提として行動していたキャラクター群は機能不全に陥ります。
その後これらのキャラクター群は機能不全を克服するか、機能不全のまま物語から脱落、あるいは立場を変えて再登場します。
- 上記裏切りを観測した視聴者が、キャラクター群同様に信用していた設定Bを放棄せざるを得なくなる。
→視聴者は大きなストレスを受けるが、このストレスが面白さとして受容される。
『魔法少女まどか☆マギカ』を例に検討してみます。
- 少し不気味ながらほのぼのとした魔法少女作品の様相で作品が展開する。
- 魔女たちに襲われるが、先輩である巴マミが活躍する。鹿目まどかも美樹さやかも巴マミを信頼する。
- 三話で突然巴マミが惨死する。(戦隊シリーズなどでもメインのヒーローらが物語から脱落しないのと同様、カラーリングされたメインキャラクターが死ぬことは通常予想されない事項)
- 魔法少女に憧れていた鹿目まどかと美樹さやかは大きく絶望し、視聴者も同時にまどマギが一般的な魔法少女作品でない事実に直面する。
脚本が虚淵玄だから一筋縄ではいかないだろう、と放送前から推測していた人もある程度いたようですが、多くの視聴者はこうした裏切りを受けたことと思います。
視聴者は少なからず「こう来たから、次はこう来るだろう」という予想展開を行いながら物語を読んでいます。
まどマギで言えば魔法少女モノということで、「話数を追うごとに仲間が増えていって、最後には全員で悪を討ったりするのかな」という思い込みを無意識に持っていた人であれば、なおさらショックを受けたことと思います。
以前書いたマグリットの記事でも記述しましたが、シュルレアリズムの世界でも裏切りは重要な表現方法のひとつになっています。
しかしこの手法には危険もあります。
- ネタバレされると視聴の楽しみがなくなる。
- 合理性のない裏切りの場合、荒唐無稽という評価を受ける。
いわゆる「な、なんだってー(棒読み)」ってやつで、要はスベった、ってことです。
このインターネットの世界ですから、スベった作品という評価が下ってしまえば、未視聴の人にすら「ああ、あれってスベった作品でしょ?」と揶揄されかねません。
そこでキンプリはこうしました。
「物語上でのキャラクターの裏切りは描かないで、鑑賞者だけ裏切ろう」
と。
キンプリ以後の裏切り(Anno Kinpri)
前述した通りキンプリは「プリズムショーに感激した一条シンがプリズムショーに出演するまで」の物語です。
そう聞いてどんな映像やストーリーを想像するでしょうか?
キラキラ輝くステージ…
長尺での素晴らしいパフォーマンス…
オフショットでのアイドルたちの私生活…
「アイドルアニメならこういう話だろう」というイメージが誰にもあるはずです。
言うならばキンプリはこの具体的なイメージの部分を裏切ることに徹した作品なのです。
以下がその具体例です。
予告動画ではイメージの裏切りにあたるシーンを完全に排除しているのですが、応援上映の映像にわずかにそれを確認できるシーンがあります。
画面左がスクリーンです。
とあるキャラクターが自転車(しかもママチャリ)に乗っています。
これはプリズムショーのワンシーンです。
つまりこの土手はステージ上の映像です。
(ステージ上から感じ取れる映像、と言うべきかも)
このシーンの直前ではこういう普通のステージなのですが
ショーが進む途中で突然、出演者が土手で女の子とママチャリを2ケツして走り出します。
その他にも突然天蓋付きのベッドが現れ、キャラクターが穏やかに横たわったまま観客に微笑むシーンなども登場します。(エモい)
こういったシーンを通して、一条シンはプリズムショーに感激する。
つまり今まで並の人間が体験したことのない感動のメソッドが、キンプリには詰まっているのです。
これがキンプリです。
「プリズムショーは、好きかい?」
キンプリでの裏切りとは「観客が想定する物語プロセスへの裏切り」でした。
「素晴らしいショーを見て感動した!」という大筋はそのままに、そこに至る過程を普通では思いもよらない形で表現することで、キンプリは唯一無二の存在となっているのです
だから断片的な情報だけ見ても理解できないし、全編を通して鑑賞してやっと理解できるのです。
最初の5分は「なんてツッコミどころの多い作品なんだ!」という気持ちでいっぱいになりますが、10分過ぎた頃から「なるほどこれは我々一般の人間がすごしてきた地球の物語ではなく、キンプリという世界の道理なのだな」と理解できるようになります。
こうなとなったら、応援上映への準備は完了です。
シックスパックを鍛えてセロリと黄色いバラを振り回してプリズムショー大好き!と心から叫びましょう。
みなさんは覚えていますか!
初めてプリズムショーに出会った時のことを!
プリズムショーを初めて見た時の想いは、きっとあなただけのものです。