1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

「アイツの闇」を許せるか?―『バケモノの子』の無邪気な恐ろしさ

 

※めっちゃネタバレしながら書いています!!※

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有事に備えて『バケモノの子』を観てきましたが、ちょっといろいろ危険すぎました


この危険すぎるというのは「わあ、日テレがジブリに続いて全力賭けてスポンサーした今年の夏休み最大の話題作に込められたメッセージがこんなに生々しくていいの?」という意味です。

おおかみこどもの雨と雪』が特にそうですが、細田作品には「人がなにかしら自分の経験や気持ちを反映してしまう要素」がたくさん散りばめられています。
マイノリティとしての在り方、マイノリティを擁してしまったコミュニティの在り方、マイノリティを自覚した際のアイデンティティの保ち方…


インターネット上での観測範囲でしかありませんが、登場人物に共感してしまう人、反発してしまう人、たくさん見ました。そしてみんな結構本気だったと思います。
それだけ細田作品にはシリアスな要素がいろいろつめ込まれている。

で、今回の『バケモノの子』ではもう少しエンターテイメントに寄って分かりやすい作品でくるのかなと思ってました。サマーウォーズ的な。


ところがどっこい、本作は『おおかみこども』を更に深化させたような、だいぶ生々しい作品になっていました。


本当もう映像的にもいろいろサイコーかよ!!みたいな部分めっちゃあったんですけど(九太って名前つけるところまで完全に『千と千尋の神隠し』のリビルドだし獣人たちのモチーフは『名探偵ホームズ』でおいおいどんだけ宮崎作品持ってくる気だと思ったら熊徹含め3人の仲間はマギシステムだし一郎彦の暴走はヱヴァ破ばりにうねうねしててひえ~ってなったし劇伴は前作につづいて不思議な緊張感がある)、全体的に切迫した雰囲気が重くて後半からかなり真顔になってました。

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※参考

 

いろいろ気になるところはあるのですが、僕が一番危険だ、と思ったのは「一郎彦の闇のゆくえ」でした。

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右のイケメン。大人になると宮野真守の素晴らしい演技が充てられる。

 

そもそもこの「闇」ですが、「バケモノは闇を持たないが、人間は成長するといずれ闇を心に抱える」と作中で説明されます。
純然たるバケモノとして、バケモノの盟主のもと育てられてきた一郎ですが、実は九太同様に拾われた人間の子でした。

 

容姿がいつまで経っても憧れる父親のような姿にならない一郎彦は、自分がバケモノでないことに気付きます。
そんな一郎彦の気持ちに真実をひた隠しにしたまま、父親の猪王山も一郎彦に接し続けてしまう。
誠実な盟主を父親に持つ息子という、はたから見ればなん文句もつけようもない父子関係ですが、それはお互いの核心に触れないままにすれ違ってしまった関係の裏返しでした。

さらに一郎彦の目の届く範囲で、似た境遇の九太が人間であることを隠しもせずに健全に成長している。

 

ひらたくいえば「闇」は思春期的なメランコリーであり、自身のアイデンティティのゆらぎを自覚してしまったことによる負のエネルギーです。
自分自身を自ら容認できない、そういう経験がある人は少なくないのではないのでしょうか。

そして一郎彦はこの闇の力によって、いろんな人に実害を与えはじめる…。

 

 

問題はここからです。

この一郎彦の暴走を止めるため、「ともすれば自分もそうなっていた」と同じ人間の九太が立ち上がります。その間、一郎彦の家族は「私たちはどうするべきだったのか…」と後悔する。
そして九太によって闇を封じられた一郎彦は、なんの記憶もないまま自室のベッドで朝を迎えます。
傍らには夜通し様子を見守っていたであろう家族が眠っている。
めでたしめでたし…

全然めでたくなくね!?!??

闇を抱えた人は、闇を自覚した人にしか救えない?
闇を抱えられない人(作中ではバケモノだが)は、彼らに何もできない?
そして闇が原因で引き起こされた悲劇は、本人の認知や責任は必要ないの?

 

確かに思春期の如何ともし難い気持ちのやり場がわからなくて、道を外した行為に及んでしまうこともあると思うけど、それはなかったことにはできないのでは、という気持ちに満たされました。

好意的に見れば「一郎彦は賢い子だし、家族もみんな一郎彦を大切にしている。作中に描写はないが、きっとこれからわだかまりなく、よい家族として過ごしていくだろう」というようには補完できなくもないのですが、そこに及ぶにはもう少しきれいになった一郎彦の心情が見たかった。

何より前述した一郎彦が目覚めるシーンなのですが、一郎彦の表情があまりにも美しくて(本当にきれいだった)、そこに寄り添うように眠る家族は一郎彦の神性を崇める群衆のような、絵画的なカットがきられています。
ここに細田守の純粋すぎる思いを見た気がしました。

 

確かに闇を抱えてしまった人間は生きづらい。
それが外への破壊を生んだり、時には内への破壊へと向いてします厄介なものです。
つらい人にはなんとかしてあげたいというのが心情ではありますが、果たして闇を抱えた人間のゆくえがこういう形で表現されていいのか、すごく考えてしまいました。

 

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はっきり言ってこの記事は僕の個人的な考え(感情的な部分)が入りすぎています。
しかし冒頭にも記載した通り、細田守作品は観客の人生を反映してしまうような要素がたくさん詰め込まれています。もう仕方ないんです。勝てない。

 

公式サイトでのコメントで細田監督はこう述べています。

 

旧来の伝統的な家族観はもはや参考にならず、
私たちは、家族の新しいあり方を模索しなければならない瀬戸際に立たされています。

 

多様な家族観を提示し、観客それぞれに自分なりの家族観を浮き出させ刺激する、すごく重要な作品となりました。

 


エンターテイメントとシリアスな問題を同居された本作のありあまるほどのパワーに打ちひしがれ、もうしばらく倒れたままでいようと思います。