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散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

「説明しない」群像劇-大量すぎる『SHIROBAKO』の登場人物への演出方法

※久しぶりに酒の勢いにまかせて書いていますので、誤字脱字乱文御免。

 

wikipediaベースで『SHIROBAKO』4話時点での登場人物数は51人+2マスコットだった。はっきりいって頭おかしい数だ。

ちなみに同じ水島努作品である『ガールズアンドパンツァー』で57人、原作付きの『ウィッチクラフトワークス』で33人。

これだけ見るといかに『SHIROBAKO』の登場人物が多いかわかると思う。しかも多分これからもっと増える。

 

完全に私見だけど、水島監督はキャラクターに必ず「役割」を与え、決してモブにしない。メインキャラクターとそうでないキャラクターで露出度の差はあるものの、どのキャラクターが主人公になってもおかしくないような設定を与えている。

その好例がガルパンOVA『これが本当のアンツィオ戦です!』だ。

本編では一瞬で過ぎ去ったアンツィオ高校戦だが、OVAで昇華するほどの設定があり、さらにOVA中でさらに新キャラを増やすという異常ぷりだ。

 

得てして大量のキャラクターが登場する作品は一部のメインキャラクターを除くとただの役割を果たす装置になりがちだが、それを回避しかつウリにする方法が『SHIROBAKO』でも見られる。

 

・主人公は現場を俯瞰できる立場にいる、現場のものにする。

まず定義しておかなければならないが、ここで説明される群像劇というのは「ひとつの目的に対して異なる分野の人間が同時進行で動いていく」物語を指す。群像劇として他にも『デュラララ!!』などもあげられるが、ああいった同じ舞台で別々の目的を持つ人間が多層レイヤー状で動く物語は除外する。

宮森も西住にも共通する点がここにあって、どちらも現場にいながら同時にさまざまな人間にオペレートを仕掛ける立場にある。

これによって無理なくさまざまな登場人物を、その人の立場を描きながら演技させることができる。主人公が動けば動くほど、たくさんの登場人物が動けるようになる。

例えばエヴァだったらゲンドウ君ではなくミサトさんが主人公たり得るわけだ。

 

・登場人物の説明は「○○できる/できない」で色付けする

これは『SHIROBAKO』に置いて顕著で、その好例が作画監督の小笠原さん。

 

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初めてのセリフが作画リテイクで慌てる会議をまとめる「承知しました」のたった一言。

これだけで小笠原さんの実力と信頼度が理解できる。

(※これは演出の省力化も兼ねていて、「作画監督なんだからすごい絵がかける」必要もなく、3話での作画修正の顎のラインだけ直すことも手抜きではなく「わかった人の職人技」と捉えることができる)

類型として総務の興津さん、原画の杉江おじいちゃんもこの演出でキャラ付けが一瞬で完成している。この方法でいけば1話1キャラクター紹介という方針を取らずにすむ。

 

同じ効果を生み出している最高のキャラクターが『ガールズアンドパンツァー』にもいる。

 

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「薬莢…捨てるとこ」

 

・なんでわざわざそんなにたくさんのキャラクターを出すの?

これは水島監督本人に聞いてほしいところですが、矢野さんのこのセリフにすべてが詰まっていると思います。

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『アニメは一人で作ってるんじゃない、アニメ制作はチームワークなんだよ?』

 アニメ=物語としたら、すべてが丸くつながる気がします。

 

あと全然どうでもいいんですけど、水島監督ってやたら熊好きですよね。あれなんなんだろう。

 

 

SHIROBAKO (シロバコ) 設定資料集&原画集セット

SHIROBAKO (シロバコ) 設定資料集&原画集セット

 

 

そんじゃーね。(久しぶりに使った)