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1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

僕は何故ガルパンにドハマリして咲-saki-にははまらなかったのか

アニメ

 

 

 

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いやあ戦車道っていいですよねえ(シベリア超特急

ああ~秋山殿もふもふしたいです。むしろ飼いたい。

ゆのニーマウス(id:yunonymous)さんらと大洗にも行きましたが、大洗は空気もきれいですごくいいところでした。あんこう鍋も初めて食べましたが、見た目から想像できないくらいさっぱりした味でいくらでも食べられる。帰ってから数日間、作中でも出てきたアウトレット併設の市場で買った干し芋を杏さんヨロシクかじってました。

 

いわゆる聖地巡礼的な行為に及ぶほどにはガルパン気に入っているのですが「個性的な女子高生がいっぱい出てきて、競技に打ち込んで他校と試合して、主人公はその競技に秀でてるけどあまりやりたくなくて、技術面では姉もすごい」という設定、見る度に「これって咲-saki-っぽいよな」と思ってました。

 

でも咲-saki-(以下咲とします)にはあんまりはまらなかった。一期はとりあえず見てるんですが、とんなんしゃーぺーわーいわーいくらいしか今思い出せないし、阿知賀編は残念ながらドロップアウトしてしまいました。

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近似した設定の作品ながら、何故ここまで好みが分かれたのか。ぶっちゃけてしまえば「麻雀がわからない」の一言に尽きてしまうのですが、それだったら戦車なんてもっとわからない。更に言うならスポーツ含め「競技モノ」に今までほとんどはまったことがないのにガルパンだけ何故良かったか。

ちなみに僕の麻雀の知識は咲視聴当時も今も「鳴きはできるが七対子以外の役は作れない」レベルです。また視聴当時からかなり時間開いているので印象論的なところがあるのもご了承ください。

 

・劇中の競技へのイントロダクション

学園モノと違い、競技モノはそのルールの周知具合で視聴者が限定される。野球やサッカーなどであればその必要も少ないと思われるが、マイナーな競技では適宜解説が必要になってくる。

基本的な解説は一切行わない咲は、既に麻雀を知っている人をターゲットに作成されていると考えられ、当然アニメもそういう作りになってくるので第一話から普通に対局が始まる。適宜タコスが解説するなどしてはいるが、基本的な麻雀のルールは一切解説されない。よって咲を楽しむには、視聴者が麻雀を打てる程度の知識を持っていることが前提となる。

ある特定の知識や背景を共有している人間にしかわからない、という意味で咲は結構ハイコンテクストに作品なのかもしれません。麻雀が打てる人が読めばドラゴンボール的に読めるんかな。

 

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・イントロダクションの有無によるキャラクターの性質決定

ガルパンは少し置いといて、咲の話を進めます。

前述の通り麻雀の基礎的な解説を作中で省いたことにより、いわゆる説明キャラを出さずに済みます。通常物語では初心者ポジションの人を主人公や主人公の相棒みたいなところに置くことで解説がしやすくするようにしますが、咲では初心者ポジションの京太郎は空気です。トーナメント始まったら完全に消えました。タコスのお使いしかしてない。咲のハイコンテクスト具合を反映した結果、特に運も強くない初心者キャラは簡単に排斥されることとなったのです。

 

もしかしたら京太郎は一種の保険だったのかもしれません。咲が思ったよりウケなかった場合、京太郎を持ち上げることで解説役とし、読者・視聴者の間口を広げる方向にもっていくことも可能だったはずです(結果的にしなくてよかったと思いますが

かくして咲は麻雀の基礎的な解説を省き、麻雀を能力バトル漫画へと昇華させました。京太郎は犠牲になったのだ。

 

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・ガルパンの素敵な「バラバラ感」

冒頭で「いろいろ似てる」と書きましたが、ガルパンはいろいろ事情が違います。

戦車は麻雀以上に日常から遠い存在ですし、さらに戦車道という架空の競技は誰ひとりとして体験したことがない。よって麻雀と違い「誰も見たことがないもの」として作品を進める必要がある。しかしそれは同時にキャラクターたちも戦車道を知らないところから始めないといけないことを示します。咲のように最初から戦車道を知っているキャラクターばかり出てしまうと、ハイコンテクストを通り過ぎて誰も共感できない作品になってしまいます。(つかみの部分でどれだけ共感できるかが作品に入り込める度合いと同義だと思っています。そこでガルパンは主人公以外、誰も戦車を知らないところから物語が始まります。

 

さらもうひとつ重要なのは「素人が知らない競技にのめり込む理由」です。華さんは新しい自分への挑戦、沙織はモテたいから、麻子は単位のため。秋山殿は西住殿の犬となるため。

 

…ふと思ったのですがこの「馴染みの薄い競技に、素人がそれぞれの理由をきっかけに打ち込み始める」設定、映画「スウィングガールズ」とかなり似てますね。ちなみにスウィングガールズすごい好きです。45回くらい見てるかも。でもあれ10年前の作品だよな…ということは10年前から僕の趣味変わってないということでしょうか。

「素人女子高生がイチから始める集団競技」って名作の鉄板かもしれません。ラブライブ!とかけいおん!とかなんかもういろいろありますね。

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・銃火器+女子+市街地戦のカタルシス

キャラクターのきっかけを作り、その後は馴染みの薄い戦車をどこまで魅力的に映すかが問題になります。

かなり私論となりますが、視聴者側は銃火器+女子のカタルシスはストパンをベースに、市街地戦のカタルシスはエヴァがベースとなって「銃火器+女子+市街地戦のカタルシス」というミームの種を既に持たされていたと考えられます。

 

咲のようにプレイヤーの目が光ったり風が吹いたりという演出は一切無く、ただただ戦車というものが重厚に、しかし各チームの意志を反映して生き物のように街中(時には山中)を蹂躙します。

ストパンは空を飛ぶことを最大限活かすために狭苦しい市街地を低空で飛び回るようなことはほとんどありませんでした(それでも宮藤が戦艦内を超スピードで駆け巡るあのカットは今でも強烈に印象に残っています

一方エヴァはほとんど飛ばない代わりに、第3新東京市を通路や壁のように見立てることで、サバゲーのような緊張感を付しています。

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ホタクがある程度持っている「日常の街に突如現れる巨大戦闘機のワクワク感」を、ガルパンは上記のミームを引き継ぎながらうまく演出されていると思います。しかもそれを実在する市街地で繰り広げるわけですからそりゃ燃えますよね。

 

 

 

咲にはまらず、ガルパンにはまった理由は「劇中での競技の描かれ方」にポイントがあったと考えます。

しかし一番のポイントは

 

 

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この犬にホタク心を重ねてしまうからではないでしょうか…

 

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