1k≒innocence

散文だったり、アニメ分析だったり。日常が切り取られていく姿は夏のよう。

馬場さんへ。

馬場さんとのつながりは本当突然だった。
ある日ついったーで馬場さんからフォローしてくれたのがきっかけだった。
確か二年前くらいだったと思う。共通のフォロワーからたどってきたらしい。
後々で理由を聞いたら「なんか面白そうだったからw」の一言。
なんというか、下手したら自分の親でもおかしくないくらい年が離れている大ベテランのバンドマンとオンラインでやりとりしていること、しかも末尾に草生やして身の上話していることは今思うと不思議な感覚だった。

正直言ってDragon Ashの音楽自体はそんなに詳しくない。だからこそ尚更馬場さんとのやりとりはDragon Ashというフィルターを通ることなく、馬場さん本人と直にしているという意識があったし、変に堅苦しい話にもならなかった。家族の話とか、仕事の話とか、音楽の話はほとんどしなかった。

3.11震災により、当時アルバムツアー中だったDragon Ashは一部ツアーを振替えせざるを得なくなった。新潟のライブもその対象となり、新潟のライブは4月に延期となった。
※その頃僕は新潟でぼっち労働に励んでいました。

 馬場さんのはからいもあって振替のライブに参加できたのでチケ代には遠く及ばないけど、この時純米吟醸の越乃景虎を差し入れした。後々で馬場さんのInstagramでアップされていたので多分馬場さんの愛犬、魔犬ダレル君(トイプードル)と飲んでくれたはず。

 この時初めてDAのライブを見ることになったのだけど、確野外フェスのオオトリをとるだけの存在感を魅せつけられた。間違いのないライブバンドの演奏だった。
 馬場さんに関して言えばこれまで見てきたバンドマンとは明らかにステージでの雰囲気が違った。最年長者(当時で45)であることの重厚感や責任感を常に意識していた(というよりそういう存在であることをDAでの自分の立場にしていた)ように見えたし、一方で奇抜な衣装やセットとは全く対照的な落ち着いたサウンドとパフォーマンスを武器にしていて、ベタな言い方だけど引き算の美学みたいなものを体現したプレイヤーだと思った。そしてミクスチャーロックのライブにおけるプレイヤーの立ち振る舞いがあまりにしなやかだったことが本当に衝撃だった。
(これに馬場さんが筋トレ替わりにヨガをやっているからですか?と後で聞いたけど全くそんな気もないしヨガもほとんど我流だよwと笑い飛ばしていた。そういえばロドニー・イーのDVDまだ買ってません、すみません。)
 このライブで個人的に気に入ったのはambitiousとsocial destruction。そして生のFantasistaはやっぱり盛り上がった。ひとりで行ったのでPA席前で見ていたけど、それでも突き動かされる瞬間があるライブに行けたのは当時の僕にとって何よりの刺激だった。

 このツアー中、馬場さんは個人的に自分で募金箱を持ち回って募金を集めていたので、終演後、挨拶がてら募金にまわった。

 「あっパスありがとうございました」
 「おうサカウヱか!!酒ありがとうな!!」

終演して15分くらいだったのにしっかり酒くさかった馬場さんの声と身長はめちゃくちゃでかかった。気でドーン!!みたいなの、この人ならできるなって気がした。
 直に言葉を交わしたのはこの一瞬だけで最後になってしまったのだけど、そのうちまた会えるでしょう。ちなみに「ネット通じて人会ったのは初めてだった」とのこと。世の中は初めてで満ちている。

 毎年僕はROCK IN JAPAN FES.に参加していて、この年も例外ではなかった。たまたまだったけど参加予定の日にDAの出演も決まっていたので俄然楽しみになっていた。
 しかしこの年、JAPAN JAMの直後から年末まで撓骨神経麻痺で馬場さんが活動休止に入った。活動休止ともに馬場さんはついったーの更新も控えていたが、時々DMでのやりとりをはしていた。馬場さんはいつも突然リプライ替わりにDMをくれる。
 症状の話を聞くと比較的早い段階で代理出演でのイベントを進めている様子だった。撓骨神経麻痺自体いつ治るかわからないという不確定要素が強いため、商売としては正しい判断だったと思う。
 ただそれ以上に印象的だったのが「魔―なんとかなるっしょw」という気の持ちようだった。いつ治るかわからない障害で楽器が触れない、というのは楽器やっている人からしたら相当のストレスになるであろうことは、自分みたいな素人でも想像するだけで気が重くなる。そういうレベルの不安に捕まることなく現状を見据える馬場さんは僕からしたら大人に見えたし、演奏者の先達としての姿勢を垣間見た気がした。(などと書くと「ライブ出れないから暇だったし焦っても仕方ないからねwそれだけだよww」とか言われそう)
 この頃時間もあったのか割とアニメ、特にシュタゲやまどかを見ていたようだった。まどかではほむほむがお気に入りとのことだった。さやか。
 
 そして年末のCDJで復帰。今年に入ってからも通常運転で活動している様子だった。突然DMをくれるのは相変わらずで、わざわざ過ぎていた誕生日にお祝いも送ってくれた。

 「転職とか引越しで大変だろうけど若さで乗りきれるでしょう\(๑'◡͐'๑)/」

ここでの馬場さんの言葉も「なんとかなるっしょ」だった。

ここ最近はどちらかと言うとInstagramからの投稿でのやりとりが多かった。魔犬ダレル君6割、楽器やバンド仲間3割、昔の写真1割くらいのダレル君記録。
自分が言えたクチではないのだが結構見ている頻度は多い様子で、大体一日に一回くらい互いにいいね!ボタン押していたと思う。先週の金曜日、20日も互いにいいね!していた。
オンラインを通じて言葉のやりとりがなくても互いの存在を認知している関係は今では決して珍しくないものだと思うし、そういう一般的なやりとりの中に馬場さんも僕も収まっている。


幸いなことに僕は馬場さんの気まぐれとインターネットのおかけで、ベーシストIkuzoneも愛犬家でタバコ酒好きの馬場育三も知っていくことができた。そのどちらもあまりに魅力的で、だからこそこうして下手なりに文章を書かないと自分のけじめがつきそうにない。ここに書くのは少し憚られるようなプライベートの昔話なんかもいろいろ聞かせてくれたので、僕の中では「バンド仲間の先輩」みたいな存在に近い。そんな人がいなくなることがどういうことか、知らせから数日経った今でも理解が及ばない。
たまに「サカウヱっていつもネットに書き込みしてるからなんかいつもその辺にいそう」とか言われるけど、僕にとって馬場さんがまさにそんな感じで、今でもある日またDMが飛んできそうな感覚が残っている。

多くの人にとっていろんなことを理解するのも整理つけるのもまだまだ時間が必要で、その道筋ていうのも本当によくわからない。なのでここは馬場さんの「まーなんとかなるっしょw」という言葉にのっからせてもらいたい。
そしていつかそのうちなんとかなった時、それまでのお互いの話ができたらきっと楽しいと思うので、また会えるの本当に楽しみにしてます。