【報告とお知らせ】自転車で頭から転倒しましたが生きてます
自転車で盛大にズッコけました。道路鋲(交差点とかでピカピカ光ってるやつ)にひっかかったみたいです。
↓道路鋲ってこういうやつです。
最近の道路鋲は完全にフラットな埋込型のタイプが主流ですが、旧式のかなりでっぱってるヤツにやられました…。
人間ってそれなりのスピードでこけるとマジで起き上がれないですね。なんというか痛みというよりこけたショック自体で起き上がる気力がしばらく湧かなかったです。
全然知らない土地で手足すりむくわ腰打撲して腫れるわチェーンは外れるわで散々だったのですが、近くに住む見知らぬおばあちゃんとその娘さんがいろいろ手伝ってくれて、なんとか自力で帰還できました。
(第一発見者のおじいちゃんが別にいたのですが「オオィ大丈夫かァ!?気をつけろオオィ!!」って叫びながらそのまま自分の自転車で去って行きました。世の中の無常を感じた。)
その直後の様子です。
自転車ガチコケして久しぶりにあっこれやべえなって気持ちになったんですが、ヘルメットしたおかげで(割れたので効果があった)手足だけで済んだし、近場のめっちゃ美人なアラフォーお姉さんに手当てしてもらったのでいろいろと気づきがありました pic.twitter.com/a99KC7rFBO
— サカウヱ(InGaN含有) (@sakasakaykhm) 2016年4月23日
割れたのに気づいたのは少ししてから。
ヘルメット効果は本当に絶大で、ぶつけた衝撃すらほとんど感じませんでした。
裏から見るとこんな感じ。
ちょっとわかりづらいですが、こめかみ部分が完全に割れてます。
ヘルメットの材料はすごい圧縮した発泡スチロールなので、めちゃくちゃ軽いけど硬いです。木材くらいの硬さは有ります。それがこんな状態になるくらいの衝撃だったようです。
ちなみに割れてないとこんな感じ。
ちゃんと一枚の部品になってますね。
そしてぶつけた外側はこんな感じ。
ポツポツ細かい傷がついてますが。全部アスファルトで擦ったキズです。発泡スチロールの部分もベコベコです。
これ直接頭に受けてたら…と思うと身が震えました。
iPhoneで録っていたログを見ると、こけた時のスピードは20km/hくらい。
車なら徐行レベルのスピードですが、自転車だとここまでのリスクを孕みます。
ちなみにログの記録に使ってるアプリはこれです。(ダイレクトマーケティング)
僕は中学の時も自転車で派手にこけてまして(通行止めに置いてあっためっちゃ細いトラロープにひっかかった)、頭直撃で脳震盪起こして気絶して即救急車、ということがありました。
その時の事もあってヘルメットを使うようにしていたのですが、今回は当時より間違いなくスピード出てましたし、ノーヘルだったら今このブログを書けてなかったもしれません…。
ちなみにこの後自転車保険に入ってたことを思い出して窓口に電話したのですが、事故受付してくれただけで特になんのお役立ち情報も得られませんでした。自損なので当然ですが…。
ここ1年位よく自転車に乗るのですが、都内、特に渋谷とか世田谷あたりですごい良さそうな自転車(=見た目がいいやつ)乗ってる人に限って、装備が完全にただの私服という人をよく見かけます。
通勤なんかだと、ヘルメットはしまう場所にも困るとか髪型は崩れるとかで気が引ける、という人が多いと思うのですが、その先に待ち受ける危険に巻き込まれれば入院Not通勤です(流行りなので韻を踏んでみました)
ヘルメットひとつ数千円から自分の命を守れるので、毎日乗るような人は本当に買った方がいいです。10万とか20万の自転車買うくらいなら一緒にこれくらいの出費余裕ですよね?
とりあえず下にAmazonアフィ貼りますけど、ヨドバシとかあさひとかどこでもいいんで実物試してひとつ買ってください。そして死なないように運転してください。
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あとなんだかんだで転倒したショックで結構気が滅入っているので、ウィッシュリストからお見舞いしてくれるととても喜びます。
こけた時にパーカーとタイツもダメにしてしまったので…。
全然自転車と関係ないものもたくさん入ってますけど、なんでも喜びます。
事故後約束していた『劇場版 響け!ユーフォニアム』を鑑賞してきたのですが、これもヘルメットしてなかったら絶対観れてなかったよな~と思うと夏紀先輩の横顔がさらに美しく見えました。
事案です pic.twitter.com/siFEGCs1NR
— サカウヱ(InGaN含有) (@sakasakaykhm) 2016年4月23日
劇場版ユーフォとにかく音響いいところで観るべき作品でした。大会の演奏を劇場で着席してみることであのホールにいるような追体験ができるし、何より今までなかなかできなかった「楽器の演奏演技」がよりクリアに認知できるので、麗奈と中世古先輩のソロオーディションの持つ意味合いが強くなってた…
— サカウヱ(InGaN含有) (@sakasakaykhm) 2016年4月23日
総集編に時系列を付与する形で新規カット織り込むの結構いい手法だった。知っているはずの物語に知らないカットが入ってきてこれは何?と思わせるので緊張感が持続して全編通して見るのが楽しくなる
— サカウヱ(InGaN含有) (@sakasakaykhm) 2016年4月23日
ユーフォはやっぱりいろんな自分の体験にいろんなものが近い作品なので、そういう点ではリアルに感じる(黄前ちゃん的な冷め方は自覚がなかったけど
— サカウヱ(InGaN含有) (@sakasakaykhm) 2016年4月23日
広い外傷やると風呂がつらい…
— サカウヱ(InGaN含有) (@sakasakaykhm) 2016年4月23日
安全は自分で獲得しましょう。
現場からは以上です。
『甲鉄城のカバネリ』 『はいふり』…「○○っぽい」で勝ちを狙うアニメたち
アニメに限らず音楽でも漫画でもポピュラーな文化創作に対し、既存作品を以て「○○っぽい」と評されることは、これまで忌避されるべき事項だった。(創作の過程では実際にはそうでないこともあるが)
このワードは特には多くのクリエイター達を苦しめ、またそう言われないようにとオリジナリティについて自問自答することが、創作活動において重きを置かれてきたのは言うまでもない。
2016年4-6月期、オリジナル作品として『甲鉄城のカバネリ』、はいふりこと『ハイスクール・フリート』が放送を開始した。
放送するやいなや、それぞれの評価としてインターネットでは『進撃っぽい』『ガルパンっぽい』という言葉がどんどん生産されることになった。*1
これは結果としてニュース記事にもなる状況にある。
簡単に説明すると『カバネリ』は「カバネというゾンビのような存在の脅威から世界を閉じた人類と、カバネに対抗すべく独自のアプローチを研究する主人公」の物語であり、『はいふり』は「女子高生が運営する艦隊と洋上保安学校の物語」だ。*2
いずれの物語も前述した作品と設定が類似し、また主要なスタッフ構成も重複している。
『カバネリ』では監督・副監督・音楽・メインキャストが『進撃』のそれと、『はいふり』は原案・シリーズ構成が『ガルパン』と同じ面々となっている。
また『はいふり』は音楽制作面から見ればシリーズ構成と含めて『けいおん!』の要素を読み取ることもできる。
新規作品の企画でリファレンスする作品があるのは当然のことである。
しかし『アイドルマスターシンデレラガールズ』が先発の『アイドルマスター』との差別化を模索したように、本来であればリファレンス作品との差分を求めるのが、これまでの自然な流れだった。
しかも『進撃の巨人』も『ガルパン』も今現在も新規作品を予定している「生きている」作品だ。
しかし今回取り上げた両作品とも、1話放送から既にリファレンス作品の存在を指摘されることを期待せんとばかりの構成となっていた。
純粋な作品作りという点からすれば1話から「○○っぽい」と言われることは、本来ならばネガティブな事象のはずである。
しかし商業的観点から見ればこれがプラスとなりうる状況に、現代はなりつつある。
アニメが毎クール数十作品が放送される状況になり「一話切り」という言葉が生まれるほど視聴者側すら作品視聴に疲弊しつつある現状で、人気作を以て「○○っぽい」と評されることは、最も端的でフックのある宣伝になるからだ。
そしてなにより、両作品とも1話時点で非常に面白かった。
リアルタイム視聴勢が「○○っぽい」と評した後、関心を持った後追いの視聴者が公式配信などから1話を見直せば十二分に視聴者を拡大できるだけの出来になっている。
結局のところどんな作品だって「面白くて売れる」に越したことはない。
人気作という「勝ち」を取りに行くための企画が、創作に於いて重視されてきたオリジナリティを求めるという矜持を完全に超えた作品が、今クールに2作品も同時に現れた。
「商業コンテンツ」のパラダイムシフトが、大きく始まろうとしている。
キンプリこと『KING OF PRISM』の魅力をかなり真面目に解説するよ!
裏切りは物語を豊かにする。
信じた友達が使徒だった、
パンツではなくズボンだった…。
さらに言うならば古今東西の逸話にも裏切りは多数存在し、そのどれもが並のサクセスストーリーよりも強く印象に残る。
キンプリこと『KING OF PRISM』を鑑賞したのですが、本作の鮮やかすぎる裏切りのプリズムに、身も心も再構成されてしまいました。
もうキンプリ鑑賞前の僕はこの世にいません。
キンプリで人は生まれ変わるのです。
鑑賞前は理解不能だったキンプリの感想が、今ではラピュタ王のごとく「読める、読めるぞ…!」と自分の理解の範疇に落ちてくるようになるのですが、この万能感たるや…。
先日見かけた感想ブログではこの記事が特に秀逸でした。(鑑賞した人間にはなんのことかすべてわかる)
とはいえ、現在インターネットには「キンプリってよく名前見るけど、みんな感想が意味不明で結局なんなのかよくわからない」という方が多いのではないでしょうか。
キンプリとは?
『プリティーリズム』スピンオフ作品であるキンプリですが、あらすじとしては
「プリズムショーというパフォーマンスを鑑賞して感動した一条シンくんが、自分もプリズムショーに出演してたくさんの人を笑顔にする」
です。
非常にシンプル、かつアイドルアニメとしては王道も王道の設定です。
そんな王道アニメの、いったい何がこれほどまでに世の中に混乱をもたらしているのか。
それは観客への裏切りのメソッドに理由があります。
裏切りとは?-キンプリ以前の裏切り(Before Kinpri)
物語上で出てくる「裏切り」にはふたつの効果があります。
- 物語の世界で、キャラクターA(あるいは複数のキャラクター群)が信じていた設定Bが、実際は設定Not B(あるいはB')であったことが示される。
→これにより、設定Bを前提として行動していたキャラクター群は機能不全に陥ります。
その後これらのキャラクター群は機能不全を克服するか、機能不全のまま物語から脱落、あるいは立場を変えて再登場します。
- 上記裏切りを観測した視聴者が、キャラクター群同様に信用していた設定Bを放棄せざるを得なくなる。
→視聴者は大きなストレスを受けるが、このストレスが面白さとして受容される。
『魔法少女まどか☆マギカ』を例に検討してみます。
- 少し不気味ながらほのぼのとした魔法少女作品の様相で作品が展開する。
- 魔女たちに襲われるが、先輩である巴マミが活躍する。鹿目まどかも美樹さやかも巴マミを信頼する。
- 三話で突然巴マミが惨死する。(戦隊シリーズなどでもメインのヒーローらが物語から脱落しないのと同様、カラーリングされたメインキャラクターが死ぬことは通常予想されない事項)
- 魔法少女に憧れていた鹿目まどかと美樹さやかは大きく絶望し、視聴者も同時にまどマギが一般的な魔法少女作品でない事実に直面する。
脚本が虚淵玄だから一筋縄ではいかないだろう、と放送前から推測していた人もある程度いたようですが、多くの視聴者はこうした裏切りを受けたことと思います。
視聴者は少なからず「こう来たから、次はこう来るだろう」という予想展開を行いながら物語を読んでいます。
まどマギで言えば魔法少女モノということで、「話数を追うごとに仲間が増えていって、最後には全員で悪を討ったりするのかな」という思い込みを無意識に持っていた人であれば、なおさらショックを受けたことと思います。
以前書いたマグリットの記事でも記述しましたが、シュルレアリズムの世界でも裏切りは重要な表現方法のひとつになっています。
しかしこの手法には危険もあります。
- ネタバレされると視聴の楽しみがなくなる。
- 合理性のない裏切りの場合、荒唐無稽という評価を受ける。
いわゆる「な、なんだってー(棒読み)」ってやつで、要はスベった、ってことです。
このインターネットの世界ですから、スベった作品という評価が下ってしまえば、未視聴の人にすら「ああ、あれってスベった作品でしょ?」と揶揄されかねません。
そこでキンプリはこうしました。
「物語上でのキャラクターの裏切りは描かないで、鑑賞者だけ裏切ろう」
と。
キンプリ以後の裏切り(Anno Kinpri)
前述した通りキンプリは「プリズムショーに感激した一条シンがプリズムショーに出演するまで」の物語です。
そう聞いてどんな映像やストーリーを想像するでしょうか?
キラキラ輝くステージ…
長尺での素晴らしいパフォーマンス…
オフショットでのアイドルたちの私生活…
「アイドルアニメならこういう話だろう」というイメージが誰にもあるはずです。
言うならばキンプリはこの具体的なイメージの部分を裏切ることに徹した作品なのです。
以下がその具体例です。
予告動画ではイメージの裏切りにあたるシーンを完全に排除しているのですが、応援上映の映像にわずかにそれを確認できるシーンがあります。
画面左がスクリーンです。
とあるキャラクターが自転車(しかもママチャリ)に乗っています。
これはプリズムショーのワンシーンです。
つまりこの土手はステージ上の映像です。
(ステージ上から感じ取れる映像、と言うべきかも)
このシーンの直前ではこういう普通のステージなのですが
ショーが進む途中で突然、出演者が土手で女の子とママチャリを2ケツして走り出します。
その他にも突然天蓋付きのベッドが現れ、キャラクターが穏やかに横たわったまま観客に微笑むシーンなども登場します。(エモい)
こういったシーンを通して、一条シンはプリズムショーに感激する。
つまり今まで並の人間が体験したことのない感動のメソッドが、キンプリには詰まっているのです。
これがキンプリです。
「プリズムショーは、好きかい?」
キンプリでの裏切りとは「観客が想定する物語プロセスへの裏切り」でした。
「素晴らしいショーを見て感動した!」という大筋はそのままに、そこに至る過程を普通では思いもよらない形で表現することで、キンプリは唯一無二の存在となっているのです
だから断片的な情報だけ見ても理解できないし、全編を通して鑑賞してやっと理解できるのです。
最初の5分は「なんてツッコミどころの多い作品なんだ!」という気持ちでいっぱいになりますが、10分過ぎた頃から「なるほどこれは我々一般の人間がすごしてきた地球の物語ではなく、キンプリという世界の道理なのだな」と理解できるようになります。
こうなとなったら、応援上映への準備は完了です。
シックスパックを鍛えてセロリと黄色いバラを振り回してプリズムショー大好き!と心から叫びましょう。
みなさんは覚えていますか!
初めてプリズムショーに出会った時のことを!
プリズムショーを初めて見た時の想いは、きっとあなただけのものです。
恋したいならBL知らない男でも『同級生』を観よう
先日『同級生』を鑑賞してきました。
遊助の「ミツバチ」でブンシャカしてたらインドに詳しくなってた話
突然ですが遊助の「ミツバチ」がマイブームです。
(これはひまわりです)
そう、「ブンシャカ」でインターネットが騒然となったあの曲です。もうあれから6年が経とうとしています。
特に思い入れはないのですが唐突にブームが来てしまいました。
今聞いてもやはりブンシャカしてますね。
当時Amazonのレビューでカラスよけになるとかスピッツのアルバム(ハチミツ)最高!(最早タイトルすら合ってない)とか荒れに荒れたわけですが、今こうして突然のマイブームが来たことに謎の運命を感じてしまったため、今回いろいろ調べてみることにしました。
すると思った以上に面白いことがわかってきました。
・なぜ「ミツバチ」という曲でブン"シャカ"なのか?
「ブン(ブーム)」つまりboomという単語には虫、特にハチの羽音という意味があります。
蚊などは違って重低音で力強い羽音は、まさにブーンという言葉がぴったりです。
タイトルのミツバチともちゃんとつながっています。
また音楽的な面から言っても「ブーン・ブーム・boom」は広く使われている単語です。
国内のグループ名だけでも
BOOMBOOM SATTELITES
THE BOOM
KANA-BOONなどなど…
つまり「ブン(ブーム)」という単語は音楽的に非常にありふれたフレーズであります。
ではなぜブンに対して「シャカ」という単語をくっつけたのか?
例えば「シェキ(shake it)」でもよかったはず。
そっちの方がレゲエ的な感覚がない人でも馴染みがありそうです。
実は「ブンシャカ」は「ミツバチ」がリリースされる17年も前に世の中に存在する表現でした。
Apache IndianのBoom Shack-A-Lakという曲です。
ブンシャカしてます。タイトルかしてブンシャカです。
93年で既にこれだけブンシャカしてます。
また2006年にはメジャーに上がって間もない湘南乃風のメンバーが、この曲をリスペクトした「Boom釈迦楽」という曲をリリースしています。
このApache Indianはインド系イギリス人で、インド系文化を取り入れたこの曲で93年にイギリスで大ヒットします。
しまいにBoom Shack-A-Lakはボリウッド作品で主題歌になるという逆輸入ポロロッカ現象まで発生したほどで、ブンシャカは90年台前半で既に世界的に大ヒットしていたのです。
2010年にやっとブンシャカに触れた日本が、いかに文化後進国であるかを反省しなければなりません。
このように我々がブンシャカwwwwwブンシャカwwwと草を生やしたフレーズには、れっきとした音楽的ルーツがありました。
・音楽的にもインドのルーツ―「ソカ」の起源
「ミツバチ」はソカという音楽をベースになっています。
ソカはトリニダード・トバゴの音楽で、2/4拍子を基本としたダンスミュージックです。
トリニダードトバゴはカリブ海の中南米地域の国ですが、かつての労働者政策としてインド人が大量に移住したためインドの文化が根付いています。
そう、前述したApache Indian同様に、ソカという音楽スタイルにもインドの影響があったわけです。
93年のイギリスでのヒット曲と、中南米のダンスミュージック。
「ミツバチ」のルーツとなった音楽がいずれもインド文化がベースとなっているのは偶然ではないでしょう。
またタオルを振り回すパフォーマンスはマニ車を彷彿とさせますし、大乗仏教的なアプローチが感じられます。
・世紀と国を超えて日本に現れたブンシャカ
この通り「ミツバチ」は遙か遠方の土地で花開いたアーティストも文化がブンシャカのルーツになっていました。
「ミツバチ」もまた遥か彼方の土地で花開いたインド文化のひとつとして捉えると、大概のことが許容できるようになってきますね!!!
(私は正常です)
JUST LIKE HONEY-「ハチミツ」20th Anniversary Tribute-
- アーティスト: オムニバス,ASIAN KUNG-FU GENERATION,初恋の嵐 feat.曽我部恵一,スコット・マーフィー,赤い公園,10-FEET,NICO Touches the Walls,鬼龍院翔,indigo la End,LAMP IN TERREN,クリープハイプ
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きっと何も特別なことはなかった。-Galileo Galileiの"終了"によせて-
今この僅かに書き出しを入力するのに非常に精神的な労力を要しており、存外自分がGalileo Galilei(以下gg)を気に入っていたことを改めて確信しています。
正直いつかこういう時が来る気はしてたけど、ここ数年どんどんサウンドが良くなっていってて、今週には新作アルバムとツアーを控えたこのタイミングで宣言されると思ってはいなかった。
ggを始めて認識したのはauのCMでした。桜吹雪の舞う教室で演奏する彼らはまだ10代で、その時にしか生み出せない、突き抜ける爽快感が間違いなくそこにありました。
「あの花」とのタイアップ曲『青い栞』によって彼らは一気に認知度を上げますが、そこから彼らの試行錯誤があったことは音源からありありと読み取れます。
メンバーの脱退を経て尾崎兄弟とベース佐孝の3人体制となってリリースされたミニアルバム『Baby, It's Cold Outside』を皮切りにして、彼らはそれまでのシングルコイルのトーンを活かしたギターロックから、一気にローファイなシューゲイザーサウンドに傾倒していきます。
BPM160以上、四つ打ち、Aメロ早口…ここ数年のバンドサウンドのトレンド。
そのどれにも逆行したサウンドは、POP ETCというパートナーを得てさらに力を増しました。
制作現場を地元の北海道から動かさなかったことが、ggのチルポップ的な側面をより強化していたことは間違いなくて、彼らの描く風景は日本的なノスタルジアのさらに向こう側にある、人間の最果てみたいなところを描いていました。
それは日本ならきっと北海道でしか得られない色とか風とか風景とか気温とか日差しとか、そういうものの賜物だと思う。
2014年にリリースされた『See More Glass』は今でも毎日のように聴いてます。
M-1『サニーデイハッピーエンド』、そして続くM-2『Mrs. summer』はある種の夏を描いた作品のひとつの到達点だと思う。
さまざまな曲で描かれる"君"はどれもかわいらしさを帯びているのに、"僕"はどうにもなかなか目を向けることもままならないほど眩しくて、変に達観してないのに妙な懐かしさとリアリズムが混ざった物語はどれも瑞々しさに満ちています。
そして最新アルバムのリード曲としてMV公開された『ウェンズデイ』。
ここでggは死も生も限りなくシームレスに等価であることを示してしまいました。
仄かな温かみのあるイントロを裏切る歌い出しのフレーズは「どうでもいい葬式で」。
あとは曲と映像を見れば分かるとおり、自分の生(=性)のために、遠回しに誰かの死を望んでしまう"僕"の存在を、ggはまるで誰にでも起こりうる日常のように淡々と描いています。
だから今回の"終了"も、ある意味当然の帰結なのかもしれない。
必要だから、そういう時が来たから、終える。
例えそれが生命みたいな自分たちの居場所であったとしても。
振り返ってみると、Galileo Galileiというバンドは僕たちにとって、子供の時に大切に乗っていた“おもちゃの車”のようなものだったのかもしれません。
けれど“おもちゃの車”では、庭の芝生から先へとは進めなかったのです。
僕たちはその先にある、どこまでも続く険しいコンクリートの道路を走ってみたくなってしまったのです。
そして大人になった今、この愛する“おもちゃの車”から降りることを決心しました。(Galileo Galilei コメント)
大人になるために、置いていくものは置いていく。
ただそれだけのことなんだと思います。
こんなきれいな生と死を生み出したggを、春が来るまできっちり見守っていきたいと思います。
僕が僕で いられたら
どれだけいいだろうかなんて
嘆くだけの 止まった時間を 抜けだそう
Sea and The Darkness(初回生産限定盤)(DVD付)
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2年近くかかって新海誠『小説 言の葉の庭』を読んで分かった、今までとこれからのこと
新海誠の大ヒット作品『言の葉の庭』の小説版をやっと読みきりました。
劇場アニメーション『言の葉の庭』 Blu-ray 【サウンドトラックCD付】
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2014年の4月に発売されたハードカバー版ですが、読みきるのに2年かかりました。
そもそも僕は圧倒的に本読むのが遅いのですが(200ページくらいの文庫でも平気で1ヶ月かかる)、それでも遅いですよね。
好きな(映像)作家の作品にこんなこというのもなんなんですけど、正直言ってあんまりいい文章じゃないんですよ。
文字コンテ読んでるみたいなカクカクとした文体というか、平たく言うとちょっと説明的な部分が多いんです。『秒速5センチメートル』の小説版よりずっとよくなったと思うけど、それでもまだちょっと固い感じがします。
あんまりテンポよく読む、という感じの小説ではないわけです。
それでも映像作品で出てくるモノローグのポエムっぽいところはすごい筆のってるなって感じますし、こうした部分は映像として想起するのか非常に容易で、新海誠の文章ってそういうところが面白いとも思うわけです。
この小説版『言の葉の庭』では、映像版でサブキャラだった人たちが本作では各章1つずつで中心人物として描かれているので、「この人こんなだったんだ!」と、小説でしか知れない事実もたくさん詰まってるものだから「オタクはこういうのに弱いんだよな…ずるい…好き…」と思いながら読んでました。
映像版だとただのイヤな奴だった先輩女子高生ちゃんが、実はメンヘラ一歩手前くらいのヤバい子だったりして結構いいなと思ってしまいました…。
ただすごく「男が書く女子高生像」になってて、ここが読むのに一番ツラい文体でした。
さて文章として新海誠作品を摂取すると、映像版で同じ風景に差し掛かってもやはり感じ方が違うんです。
それは平たく言うと「こんな人いるか?」というセルフツッコミです。
いくらかわいいからって男子高校生が赴任してきた先生に告白するか?とか、
そもそも主人公含めこの家族まともな恋愛事情の人間がいねえ、とか、
そんなこと創作に言ったら身も蓋もないんですけど、そういう批評的な感情が小説版を摂取するとよく出てくるわけです。
これも読書速度遅延の一因でもありました。
でもこの手の感情って映像見てる時はそんなに出てこないんですよね。
ユキノ先生の演技は未だに私的ベストオブ花澤香菜ですし、6月のむわっとしたJRの車内の空気が伝わってくるような作画はやはり魅力がすごいわけで、ロマンスがありあまっています。
『秒速5センチメートル』を観た時も同様で、はーなんだこの作品は!圧倒的映像美!と思った一方、後々他の人から「いや雪の日に中学生が一晩いなくなったら大騒ぎになってるし、あと二話で田舎の子がずっといない男ひきずるとかいい話じゃないでしょ…」って言われてあ、なるほどと納得してしまったこともありました。
つまりどういうことかと言いますと、新海誠の映像作品は「視覚的・聴覚的なリアリズム」によって、フィクション性の高い人間関係や物語展開がうまいこと包まれ、結果として作品全体がリアリズムを帯びてるように見える、という構造なのではと感じたわけです。
なのでこの視覚的・聴覚的なリアリズム(=きれいな作画や、現実にある場所)に影響されなかった人は、前述したように冷静に物語にツッコミが入れられるわけです。
小説版ではもちろん映像や音声の装飾がなくなるわけでありまして、するとそこに残るのはちょっとツッコミを入れたくなるようなフィクション性の高い物語です。
そうすると「新海誠というのはギャルゲーのOPを作ってた人なんだなあ」と、自ずと思い返さずにはいられません。
「自分の秘密の場所でだけ会える、年上の妙に気になるチョコでビール飲む変な女は実は自分の高校の先生だった!」
うん、すごい純粋なボーイミーツガール感!大好物です。
結局のところ何が言いたいかと言いますと、新海誠作品においてリアリズムとフィクションを混同して視聴すると身を滅ぼすかも、ということです。
どんなに頑張っても新宿御苑に味覚障害の美人古典教師はいないですし、高校の頃のあなたを待っている女子高生は奄美大島にはいません。
惜しむらくはこの視点はそもそも純然たるセカイ系作品であった『雲のむこう、約束の場所』までは、普通に視聴側も認識していたはずのことだったのです。北海道や青森が出てきてもしっかりフィクションでしたから。
それだけに『秒速5センチメートル』で示された、徹底的にロケハンされた現実世界を映したビジュアルを舞台に、その舞台を壊さない程度のギャルゲー文脈的物語を動かす手法が強烈であったわけです。
新作『君の名は。』が今夏公開予定です。
本作について監督本人がこう語っています。
追記。最後に、この個人サイトを見てくださるような、昔からの(ディープな)ファンの方々へ。『君の名は。』には、僕の過去作のモチーフもたっぷりと盛りこまれています。もちろん新しい要素も多くありますが、過去作を熱心に観てくださっていた方ほど、連続性や語り直し、アップデートに気づいていただけるはずです。
子供から大人まで多くの観客に楽しんでいただける映画を目指していますが、この映画を最も楽しむことができるのは、やはり皆さんです。今作でもぜひ、映画館に足を運んでいただけると嬉しいです。
『君の名は。』はおそらくこれまで以上に、たくさんの人に鑑賞されることでしょう。
そしてさらになる新作もよりマスの人々の目に留まるはずです。
その節目に立ち返る場所として、この記事が機能する日が来るであろうことを、今から期待してやまないわけです。